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2019年12月

2019年12月17日 (火)

戦争を語り継ぐ

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2019年12月15日(日)、新百合ヶ丘で電車を降りる。
鶴川街道を南に進み古沢の信号から津久井道に入る。
歩道と車道の区別もない狭い道。なだらかな丘陵の一角に「平和の碑」が立っている。


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隣に立つのは地神塔。文字が読めないほど風化(剥離)が進んでいる。

「平和の碑」の下に「探照灯基地跡」と刻まれている。
側面にも何か刻まれていたが薄れて読み取ることはできなかった。

あさおグリーン・ツーリズムのHP「桜並木・コスモス畑コース・33探照灯基地の石碑」には次のように紹介されている。
”第二次世界大戦中に古沢288番地、海抜70mの地点に探照灯が据えつけられ、昭和19年9月より昭和20年8月17日まで使用された・・・。


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第二次世界大戦末期、首都東京を爆撃するB29の編隊が何機も何機もこの上空を通った。

川崎市麻生区古沢から多摩丘陵の境界尾根を越えると東京都稲城市平尾。
稲城市の複合施設 ”ふれんど平尾” の郷土資料室に、稲城の空襲と焼夷弾の実物(破片)が展示されている。


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以下、展示説明文からの引用

稲城の空襲
 アメリカ軍による東京大空襲は昭和17年から始まりますが、飛躍的に増大したのは昭和19年11月頃からです。やがて都心部から郊外へとひろがり、稲城市で空襲による被害がでるのは、昭和20年5月になってからのことです。5月25日の深夜から26日にかけての、焼夷弾による攻撃により、坂浜で8軒、百村で5軒、矢野口で2軒の家が全焼しました。そのなかには集団疎開の学寮となっていた坂浜の宝蔵院も含まれていましたが、児童たちは全員無事でした。


1機のB29から1520発の親弾がバラまかれ、1発の親弾から38発の焼夷弾単体が約700m上空で空中飛散した。
焼夷弾が落ちる時、尾翼の役割をする麻製リボンが引き出され、これに火がついて火の雨に見えたという。


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以下、現職でバリバリ(?)仕事をしていた30年も昔、国語教材「ちいちゃんのかげおくり」の理解を深める一環として呼びかけ、寄せられた手記の中から空襲に触れた資料の一部。


Aちゃんへ
 私は昭和十六年生まれです。戦争の時は4才位でしたが、とてもこわかった思い出が二,三ありますので、お話したいと思います。
 七月か八月頃だったような気がします。というのは、ねまき(今のパジャマ)がゆかたで、そのもようは(うさぎがもちつきをしている)そのねまきが大好きでした。
 何時ごろだったかわかりませんが、ねまきのまま家から裏山のぼうくうごうというほら穴まで、おばさんに手を引かれて走りました。その時畑は麦をかったばかりで切りかぶがのこっており、はだしで走ったのでとても痛かったのをおぼえています。
 ぼうくうごうはまっくらで、ランプが一つあったような気がしました。その中に、お母さん、お兄さん、おじいさん、おじさん、おばさんなど、まだまだ大ぜいいたようです。タンスやなべもあり、天井から水がたれてきて、とてもつめたかった。
 ぼうくうごうの入り口は戸板(今の雨戸)でふさいであり、戸のすきまから、八王子の町が火事でまっ赤に燃え、まるで夕焼けのようにきれいで、手をたたいてよろこんでいたら、おじさんにひどくしかられてしまいました。
 次の日、竹やぶの中から、ブタやジャガイモ、さつまいもがこげて、スミみたいになっていて、そのにおいのくさかったのもおぼえています。
 五十年以上前のことですが、今でもはっきりとおぼえています。
 Aちゃん達には、ぜったいけいけんさせたくないし、今は原子力やかく実験もあり、日本はぜんめつしてしまうからです。
                                  (おばあちゃんより)


仙台大空襲(くうしゅう)
  (おじいちゃんの思い出)
 おじいちゃんは仙台生まれで、高校を出るまで住んでいました。
 小学生の時、日本は戦争をしていました。日本は敗れましたが、そのちょっと前の昭和二十年(一九四五年)七月十日の夜、仙台はアメリカ軍のB29爆撃機による大空襲(空からの攻撃)を受けました。
 その時、おじいちゃんは両親と、大きい兄ちゃん、妹の五人で、仙台市の中心から少し離れたところに住んでいましたが、空襲がはげしくなり、市の中心部は一番早く火の海となり、家の前の道は焼け出され逃げてきた人たちが走っていました。火はだんだん近づいてきましたので、おじいちゃん(中学一年生)と妹(小学五年生)の二人は逃げることになり、家から百五十メートルぐらい逃げた時でした。
 頭の上の暗い空が「パッ」と花火が上がった時のような音がして明るくなり、「ヒュー」と言う音と共に焼夷弾の雨が落ちてきて、うづくまっていた二人の目の前につきささり、はげしく火を吹き出しました。焼夷弾はあたり一面につきささり、火を吹き出していましたが、妹の手をしっかりにぎり、火をくぐって走りました。少し走ってふりかえると、落ちたあたりは火の海でした。
 やっと安全と思われる田圃(たんぼ)のあぜ道まで逃げて、腰を下ろしてふりかえると、市街地は真っ赤に燃えており、B29はまだ焼夷弾の雨を降らせているのが見え、まわりには布団をかぶって火の海を逃げてきた人たちが大勢いました。布団には焼け跡がいたる所にありました。
 空襲も終わり、朝がきましたが、市内に入ることはゆるされませんでしたが、よく遊んだ広瀬川の道のないところを、人の目をぬすんで歩き、昼すぎ家の近くまで出て、夜逃げた時焼夷弾が落ちた所は焼けてくすぶっていましたが、家のあたりは焼けずに残っていました。
 後で聞くと、家の近所の人たちは逃げずに、火を消してあるいたとの事でした。
 家では二人があまり帰ってこないので、心配で広瀬川の川原をさがしている所でした。
 仙台の中心部は丸焼けで、多くの人が火にまかれて死んだそうです。
 今考えると「ゾーッ」とします。生きていて良かったと、つくづく思っている今日この頃です。
 今の日本は、戦争もなく平和で、毎日を楽しく生きていられて、良かったネ、Yちゃん。
                                  (Yさんのおじいちゃんより)


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以下、寄せられた手記への礼状

「戦争中の体験談」を寄せて下さり、ありがとうございます。
 寄せられた手記は通信に紹介し、ボクが読みました。どの子も真剣に聞き入るなど、「ちいちゃんのかげおくり」の時代背景を知るとても参考になりました。
 この教材は、子ども達が始めて出会う戦争時代のお話です。しかし、例えば4年生の「一つの花」や6年生の「石うすの歌」、あるいは6年生社会科の「15年も続いた戦争」など、これから学年が進んでも「戦争のあった時代」を学んでいきます。寄せられた貴重な体験談は、これらの学習でもきっと役に立つと思っています。
 ご協力、本当にありがとうございました。

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戦後に生まれたボクは直接の戦争体験がない。けれど、本を読んだり、写真や映画(ニュース映画も)を見たり、話を聞いたりして、間接的に「知る」ことはできる。戦争の時代を生きた人々の高齢化が進んでいる現在、その体験や思いを若い世代に引き継ぐことは、今を生きるボク等の大切な役割なのだろうと思う。
(*現職時代に作り保管していた資料や学級通信。整理・処分(細断廃棄)するには惜しい気がしてつい読みふけってしまう。
    生前整理がちっとも進まない。)

2019年12月 5日 (木)

紅葉_2

朝晩の冷え込みが厳しい季節。寒暖の差が大きいほど木の葉はきれいに色づくという。
ここ数日、晴れて空気の乾燥する日が続いている。紅葉の美しさが一段と進んでいる。

新緑や紅葉で人気の高尾山。
TVニュースで美しく色づく稜線や山腹を映し出していた。
可能なら自分の目でも観たいと思う。
しかしニュースでは同時に
ケーブルに乗るための長い列や、山頂周辺の混雑ぶりも伝えている。

長距離の移動も、極端な人の賑わいも、細い山道(特に下り)も、今は苦手。
リハビリを兼ね、二本杖でいつもの散歩道を歩いた。(ポール・ウォーキング)

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林間公園

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東林ふれあいの森

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ちょっと休憩(つるま自然の森)

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つるま自然の森

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相模緑道緑地

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Sdscf1975
相模緑道緑地

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サンデッキ相模大野跨線橋

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林間公園-水道みち-東林ふれあいの森・つるま自然の森-相模緑道緑地-相模大野駅
総歩行数:13,440歩。
※参考:東林ふれあいの森・つるま自然の森(2019/01/09)

目標があるのは良いことだ。その実現に向かって頑張ることができるから。
その目標が遠すぎるからと、あきらめたりがっかりすることはない。
実現に向かって働きかけることそのものが、楽しさや生きる意味につながることだから。

2019年12月 3日 (火)

紅葉

暑い夏が過ぎ、台風が何個も上陸・接近し、曇りの日が何日も何日も続き…。

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11月最後の週末、久しぶりに晴れて真っ青な空を見上げて心が弾んだ
ヤマは冬でも里は秋。紅葉を期待して出かけよう!
風は冷たくてもこんなに天気のいい日に家の中に引っ込んでいては勿体ない。

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県立座間谷戸山公園案内図 
(丸数字は撮影場所:どの画像もクリックすると大きくなります)


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①南入口広場

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②シラカシ観察林

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③野鳥の原っぱ

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④多目的広場

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⑤森の学校

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⑥水鳥の池

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⑦湿性生態園

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⑧西入口

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⑨伝説の丘

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⑩東入口広場


声の出にくさを矯正するリハビリのため、毎日実行している「天声人語」の音読。
先日、次のような記事を読んだ。
「3歳の時小児がんと診断され、15時間にも及ぶ脳の腫瘍を取り除く手術を受けた小6の少年。
 夢は患者さんや家族みんなが集まれるレモネードカフェの店を開くこと。」
「一生向き合う病気です。入院や通院のたびに弟にはさみしい思いをさせました」
                       (2019/12/01:朝日新聞)
辛い思いをしながら病気と正面から向き合い他者を思いやる少年の優しさと夢に強く励まされた。
入院・手術の闘病生活からQOLを高めるリハビリ生活へ。
今の状態を「個性」と自認して一生付き合う。
あきらめず・投げ出さず・好奇心を保ち続けたい。これからもまだ生き続けていくのだから。

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