入院記

2017年3月29日 (水)

東病院編:退院

<一時帰宅に向けて>

9月上旬東病院に転院して来たときは介護タクシー・車椅子による移動だったボクが、
10月中旬には病棟内だったらキャスター付き歩行器利用でフリーになっていた。
一時的に家に帰り、家での活動も試したい。…そんな希望も出せるようになっていた。

10月12日(水)
主治医のFuk.Drから一時帰宅についての話があった。
・昨日担当者が集まり、s-okさんの容態について情報交換をしました。
 リハビリに対する先生方の評価がとても高く、一時帰宅はもちろん許可します。
・ただし病院からご自宅までは4kmもあり、歩けばおよそ1時間もかかります。
 長距離歩行の前例がないため、自家用車orタクシーorバスを利用することが条件です。
 (車を持っていないボクは「歩いて帰宅すること」を希望していた)
・しかしいつまでもここ(病院)にいてもらうようなことは考えていません。
・リハビリの経過や帰宅した時の様子、24日に予定されている眼科の受診結果…を基に
 25日にカンファレンスを開き、11月上旬には退院できる方向で検討します。

一時帰宅や退院に向けてシルバーカーや杖(3点支持の一本杖)歩行の訓練も加わった。
外歩きや階段の昇り降りなど「日常生活」を支障なく送れるようなリハビリも行われた。

・エスカレータの乗り降り
 流れに合わせて左手をベルトに置き、右足から一歩ステップに踏み出す。両足をそろえて立つ。
 降りる時も右足から。流れに合わせて前に進む。

・階段の昇り降り
 昇りは強い足(利き足)から、下りは弱い足(利き足でない脚)から降り始める。
 (※筋力の強い脚で体重を支える)
 昇りは手すりにつかまりながらトントンと交互に昇る(一足一段)ことも可。
 下りは手すりにつかまりながら一段ずつ足をそろえて(二足一段)降りる。
 昇りも段差が大きい場合は二足一段の方が安全。
※杖を先についてバランスをる。
エスカレーターも階段も、接地面と目線の距離が離れる分下りの方が怖く感じる。
繰り返し練習して慣れるしかないのだけれど。

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本院と結ぶシャトルバスを利用して、路線バスに乗り降りするための練習も行った。
(シャトルバスは20分おきに出ている。埼玉のKMCに向かうバスもある=職員専用)
・ステップの乗り降り⇒バスが完全に止まってから、手すりにつかまり杖を利用して降りる。
・乗る時は強い足から、下るときは弱い足から⇒階段と同じ。
・本院は人の往来が多い。人ごみの中で急に立ち止まったり振り返ったり方向を変えたりしない。

一時帰宅や人ごみの中の杖歩行、バスの乗り降りなど、希望していたことを全て受け入れてもらえた。
不安に思っていたこと、疑問に思っていたことにきちんと対応してもらえたことでリハビリへの
モチベーションを一層高めることができた。


<一時帰宅>

10月15日(土)
昼食のあと病院を出て、シルバーカー(※)と介護杖(3点支持)を利用しながらバス停に向かった。
(※買い物カゴ付き折り畳みシルバーカー)
一番混んでいないと思われる時間帯を選んだのだけれど、車内は思いのほか乗客が多かった。
途中学生の団体が乗り車内はいっそう混んできた。道路も渋滞し大野駅には30分以上遅れて着いた。
「歩いたほうが速い!」
妻がつぶやいた。渋滞によるノロノロ運転にイライラしていたボクもそう思った。

家に帰る途中スーパーに寄り食材を買った。
65日ぶりの我が家。「老前整理」を始めたばかりのボクの部屋は散らかったまま。
机のパソコンを立ち上げセキュリティソフトを最新版に更新した。
久しぶりに触れるPC、画面に目の焦点が合わずマウスのクリックを何度も間違えた。
ようやく「安全です」メッセージを確認し、メールチェックと不要メールの削除など
一通りのPC作業が終わった時もう17時を過ぎていた。

夕飯の支度。夕食のメニューは病院にいる時から考えてある。
ぶりの照り焼きは妻が作った。肉じゃがはボクが作った。
調理実習の時のような間違いはもうしない。
「おいしくできたね!」
いつもは辛口の妻がちゃんと評価してくれた。

夕食の片づけが終わった後部屋に戻り、HPの掲示板に書きこんだ。
「ありがとう! リハビリ頑張ります!!」の気持ちを込めて…。

10月16日(月)
ホッとする我が家。けれどあれこれの思いが次々と浮かんで寝付けなかった。
0時、2時、5時と目が覚め、明るくなり始める5時40分にはすっかり目が覚めていた。
6時に起きて湯を沸かしポテトサラダを作った。
7時朝食。
玄米フレークに牛乳、ポテトサラダ、小型パン、紅茶、デザートにキウイ。
ボクには十分満足できる食事。

朝食後、持ち帰った洗濯物をすませてPCを立ち上げて "独り言"を更新した。
昨夜より20近くカウントがアップしていた。
更新していないのに見てくれる人のいることを嬉しく思った。

家に帰ったらやりたいと思っていたこと。料理を作る、洗濯をする、PCを更新する…。
望んでいた作業が一通り終わった時、もう10時を過ぎていた。
道路の渋滞を避け今日は歩いて病院に戻ろう…。夕べから決めていた。
10時35分、家を出た。緑道に入りシルバーカーを押しながらゆっくり歩いた。
11時10分、大沼トンネル先のベンチで休憩。5分間休んで11時15分出発。
木もれびの森(麻溝台地区)を抜けて東病院に着いた時11時35分だった。

そのまま3階の談話室に上がり崎陽軒のシュウマイ弁当を広げた。
歩いた後のちょっと贅沢な弁当。おいしくて量的にも満足できる食事だった。
ナースセンターに「ただいま!」と声をかけた時12時45分。
部屋(病室)に入って帰宅モードから病院モードに切り替えた。
少し眠りたかったが荷物の整理が終わる頃13時50分。午後のリハビリが始まる時刻だった。


<退院に向けて>

9月上旬、転院したばかりの頃には葉を青々と茂らせていた桜の並木道も
10月も後半に入ると茶色に色づき、葉を落とし始める樹さえ見られるようになった。

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10月23日(日)
14時57分から2単位続き(120分)で行われたOT。
外歩きが終わって館内に入る前、シャトルバス・バス停ベンチ。
担当のSak先生が言った。
「(2時間続きで)疲れたでしょう。少し休んでから戻りましょうか」

風が少し冷たく感じたが青い空に刷毛で掃いたような巻雲が見えた。
耳を澄ますと虫の声が聞こえた。
虫の名は分からないけれど自然に童謡が浮かんできた。

♪あれマツムシが鳴いている
 チンチロチンチロチンチロリン
 あれスズムシも鳴きだして
 リンリンリンリンリインリン
 秋の夜長を鳴き通す
 ああ面白い虫の声…♪

気がつけば二人で小さく口ずさんでいるのだった。
口ずさみながら「夏から秋へ」という季節の変化を感じた。
単調になりがちな入院生活の中で「虫の声を聞きましょう」という気配りが嬉しかった。

10月27日(木)
9寺少し過ぎ、食堂にいるボクを見つけたソーシャルワーカーのSuzさんが声をかけてきた。
「今日、これからケマネージャーさんとの面接があります。
 受け入れるかどうかは、お会いしてお話をしてから決めて下さい。」
2~3日前に担当看護師のIziさんに
『退院した後の医療やリハビリはどうなるのか』相談していたのだ。

紹介されたケアマネージャーのNukさんは、話をしっかり聞いてくれる物静かな印象の男性だった。
そのままリハビリの様子(OT)と、「退院に向けての説明会」にも立ち会ってもらうことにした。

11時からの説明会は少し遅れて始まった。
主治医であるFuk.Drから、入院の経過やリハビリの様子・評価などの説明があった。
退院後のケアについて、
内科は家の近くにあり以前通院していたS.S病院のAw.Drへ
外科は手術執刀医で主治医でもあるK大学病院のOk.Drへ
それぞれ紹介状を書いてくれるとのことだった。
説明はとても詳しくていねいで充分納得できる内容だった。

Nukさんにはその後の昼食の様子も見てもらった。
静かに見守ってくれる姿や話をきちんと聞いてくれる姿に好感が持てた。
妻も納得したようでこのまま退院後のケアマネ―ジャーとしてお願いすることにした。

10月30日(日)
15時10分からのPT。幾つかの検査の後、担当のMih先生から説明を聞いた。
          9月上旬(転院したばかりの頃)   10月下旬(退院する前日)
 歩く速さ    13.2秒(歩行器利用)        7.0秒(杖利用)
                               5.9秒(杖利用・速歩き)
 カラーコーン
 回り       19.2秒(歩行器利用)        10.1秒(杖利用)
 継ぎ足     11.5秒(右前)              44.1秒(右前)
          16.4秒(左前)               60.0秒超(左前)
 片足立ち     9.6秒(右足)                8.4秒(右足)
           5.7秒(左足)                 9.6秒(左足)

退院した後の自主トレーニングとして次のようなメモももらい実際にやってみた。
【自主トレーニング(目安:20回1セット)】
 ・片脚ブリッジ=尻や腿の筋肉を鍛える
 ・仰向け片脚上げ(反対側の膝を立てる)=股関節や腹筋
 ・四つ這い対側拳挙=体幹や股関節、バランス
 ・脚開き(椅子の背もたれ等に捕まる)=太ももの外側
 ・踵上げ(椅子の背もたれ等に捕まる)=ふくらはぎ
 ・スクワット(椅子の背もたれ等に捕まる)=ももの前後

2か月間のリハビリを通して、片足立ち(バランス)の他は明らかに成績が伸びている。
体幹を始め筋力はきちんとついているのだ。
何よりも家でできるメニューまで用意してもらえたことがとても嬉しかった。
このメニューは、退院後にトレーニングマットを買い外歩きのできない日に行うようにしている。
(晴れている日はできるだけ外を歩くようにしている)


<退院>

10月31日(月)
6時10分
「朝焼けがきれい!」という看護師の声で目が覚めた。
南北方向に長い病棟の廊下、南側突き当たりのガラス戸から明るい陽が差しこんでいた。
少しぐづついていた天気も、退院するこの日は清々しい朝の光に満ち満ちていた。

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朝食が終わり荷物の整理もつけて休んでいる時、OT担当のSak先生が挨拶に来てくれた。
「退院おめでとう。良い天気で(退院に)ふさわしい日ですね。」
「ありがとうございます! お元気で!!」
二か月間お世話になり、リハビリを通してここまで回復してきた。感謝の気落ちを込めて握手した。
「本院を受診するときはここにも寄って下さいね。」
お世話していただいたたくさんの先生方や看護師さんの顔が浮かんだ。山や自然の話も楽しかった。
こちらに来る機会があれば、ボクも必ずそうしようと思う。

10時30分:
迎えに来た妻と病室を出た。廊下を通る時、知り合った患者さんから
「おめでとうございます!」と祝福された。けれど…
「お元気でね。さみしくなるけれど…。」とか「(病院内で話のできる)一番の友だちでした。」
とか言われてがっちり握手を求められたとき、「〇〇さんもきっと良くなりますから…。」
応えながら心の中は少し切なかった。

11時10分:
K大学東病院の玄関を出た。そのまま相模緑道を歩いて家に向かった。

12時15分:
家に着いた。久しぶりに入るボクの部屋のカレンダーは8月のままだった。
再(々)手術のためにKMC(埼玉県)に入院したボクは手術を受けた後、そのままK大学東病院に転院したのだ。
61日ぶりの我が家。少し散らかったままの机さえ懐かしかった。

15時00分:
担当のケアマネージャーNukさんと介護用品業者のFurさんと面談、歩行器をレンタル。
持ってきてもらったいくつかの見本の中から一番安定している歩行器を選んだ。
退院後のリハビリは、幾つかの事業所を実際に見学して決めることにした。

16時30分:
レンタルした歩行器を使い、さっそく大野駅近くのスーパーへ買い物に出かけた。
シルバーカーと違って後輪の車軸が無いため、背筋を伸ばし歩幅を広くして歩くことができた。

17時30分:
夕飯の支度を始める。妻に教えてもらいながら一緒に作った。
今夜のメニューは "親子丼"、"豆腐とワカメのみそ汁"、"冷奴"。
塩分とカロリーは低め、量的には病院食より多いと思う。
     
19時30分:
夕食の後、NHK BSプレミアム "日本百名山SP でっかい秋みつけた!"を見た。
槍ヶ岳、北八ヶ岳、火打山、双六岳、黒部五郎岳…。みんなみんな懐かしい!
(それぞれの山を、ボクが歩いた時の記録は北ア南ア中央ア八ヶ岳のページにもある。
UPしてないけれど火打山も、妙高-火打-焼山を縦走して笹ヶ峰牧場に下る時、
ルートを失いかけたことのある若い頃の懐かしい山だ。)

21時00分:
妻と一緒にディーサービス事業所のパンフレットを見ながら話し合った。

23時00分:
風呂に入った後ベッド(※)に入り眠りについた。
(※電動式の介護ベッド。
  1回目の手術が決まった時妻が購入してくれたのだ。こうなる日が来ることを予想して…。)

ホッとすると同時に、思いのほか忙しい一日だった。
明日からは、自分の意志による自分のためのリハビリを始めようと思う。
・安定してバランスよく歩けるようになりたい!
・野山を自由に歩きたい。可能なら3000m級は難しいにしても2000m級の山にも再びチャレンジしたい!

自分の意志(目標)を、高く・強く持ち続けたいと思う。

2017年3月19日 (日)

東病院編:実習_

<ステップ>

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課題の先に次の課題。その課題の先にまた課題。課題をクリアする度に新しい課題が見えてくる。
一歩また一歩。これは山登りと同じだ! 自力歩行(フリー)=退院=まであと少し。

車椅子で東病院に転院してきたボクがリハビリを続けることで、出来ることが少しずつ増えてきた。
「〇〇ができる」から「〇〇をしている」へ! 退院する日が次第に近づいている。

その頃、退院し自宅で生活している自分をよく想像した。
・近くのスーパーへ買い物に行ったり、近隣の公園や緑地を歩いたりしている自分。
・家庭での日常作業、特に調理。レシピを見たりアレンジしたりしながら食事を作っている自分。
・新聞や本を読んだり、インターネットを通して自分の考えを発信したりしている自分。

またその頃、こんな夢も見た。
いつ頃だったか、どこでだったか? 騒がしい教室の中に長い棒を持ちイライラしている自分がいた。
バシーッ! 強く机を叩いた。静かにさせるつもりだったのだろうか。
言葉ではなく力で抑えようとする自分を、悲しく見つめるもう一人の自分がいた。
              -眠れない夜、浅い眠りの中で見た夢の一コマ-

ふらつく・よろめく、目の焦点を合わせることができずめまいまでしてひどく疲れる…。
自分の体なのに思い通りにコントロールできない自分に苛立っていたのかも知れない。
リハビリを頑張っているつもりなのに、自分の内心をかいま見たような気がしてそんな自分を怖いと思った。
自分に甘くなりがちな期待感もあり、自分の努力を正当に自己評価することは難しい。
第3者の眼にボクはどのように映っているのだろう? 客観的な評価を知りたい。…そう思った。

<実習>

「学生の実習をお願いできませんか?」
9月の終わりごろそんな話があった。
学生にとっては学んだことを実際の場で実践・研修する機会。
と同時にリハビリを続け社会復帰を目ざしているボクにとっては
自分の状態について客観的に評価してもらえるまたとない機会。
「承知しました。よろしくお願いします!」
即座に返事した。

その頃のリハビリで、OTでは主として上肢を使ったバランス運動、
PTでは体幹を鍛えたり下肢を使ったバランス運動に取り組んだりしていた。
また天気の良い日には杖やシルバーカーを使った外歩きにも取り組み始めていた。
      (入院記・東病院編:リハビリ2参照)


OT:


上肢の運動を通してバランス感覚を改善する
 ・お手玉キャッチ ・お手玉ピッチャー ・バランスシートの上でバランスボールをキャッチ
 ・デュアルタスク(同時に複数の作業を行う) ◎棒体操  …

 ◎棒体操
 
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棒を水平に持ち上下に動かす  棒を水平に持ち左右にひねる
 (重りをつける場合もある)  (重りをつける場合もある)
                           …など


PT:


体幹を鍛える。下肢の運動を通してバランス感覚を改善する
 ・バランスボールブリッジ ・片足ブリッジ ・膝立ち歩行(前後・左右)
 ・脚の横振り(前後・左右) ・継ぎ足歩行 ◎四つ這い片手-片足あげ  ◎クロス-ステップ …
                            

 ◎四つ這い片手-片足あげ
  四つ這いになり足を後ろに伸ばし、反対の手を前に伸ばす

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 ◎クロス-ステップ
  足を前-後ろ-前…と交互にクロスさせながら横に歩く
 
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                           …など

外歩き:

1階リハビリ室-正面玄関-(左回りに)-駐車場-地下トンネル-桜並木-正面玄関-リハ室ビリ室
 ・時には重りを入れたザックを背負い病棟東側のちょっとゴミゴミした雑木の歩道を歩くこともあった。
 ・外の空気は気持ち良かった。雨が降った後の翌日の散歩(?)は土や木々の湿った匂いが心地良かった。
 ・木々が緑から赤茶色に、空が白っぽい青から濃い青色に…と変わっていき
  夏から秋へと進む季節の変化と同時に入院生活の長さを思わせた。

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桜並木(2016/09/10)

 

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女郎蜘蛛(2016/10/19)
  

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枝を透かして秋の空(2016/10/24)

今まで頑張ってきたリハビリ、
現時点での到達点(評価)はどこだろう? 
次に目ざす目標は何だろう?
"その日"の来ることが楽しみだった。

<実習1> 10/14(金)

指導者のSak先生と医療衛生学部リハビリテーション学科3年次生・5名の学生が病室で待つボクを迎えにきた。
一緒に1階リハビリ室に下り、まず簡単な自己紹介。そして実習が始まった。

「s-okさん、こんにちは。リハビリ学科の〇○です。三日間よろしくお願いします」
「失礼します。それでは検査を始めます。今日は肘やひざの動きを検査します。
 靴を脱いでベッドに上がり、仰向けになって足を伸ばしてください。」
(実際の言葉とは違うかもしれない。しかし何のために何をするのか意義まで説明していることが印象的だった)
表情や言葉から緊張している様子が何となく伝わってきた。
しかし患者(ボク)に対してまじめに真摯に向き合おうとする一人ひとりの姿に好感が持てた。

まだ学生だった頃、教育実習生として初めて子どもたちの前に立った時の自分を思い出していた。
練習したはずなのに口の中が乾き次の言葉がスラッと出てこなかった。
ここは教室ではない。実際の現場で自分より年上の生身の社会人を相手にしているのだ。緊張して当たり前だ。
この緊張感が少しでほぐれるように、まずボク自身が自然体のまま今できる範囲で精いっぱい応えようと思った。
16時まで、時間いっぱい目いっぱい楽しもう! …そんなつもりで次の言葉を待った。

検査項目は分担が決まっているらしく、一つの検査が終わる度に担当学生の変わるところを初々しく感じた。
・上肢、下肢の筋肉や関節の動きは年齢相応に普通のようだった。
・継ぎ足、片足立ちなどバランス系は相変わらず0~数秒しかできなかった。
・約10mの距離を杖なしで歩く検査では自分で思っていたよりスムースに歩けたと思う。

検査の合間や途中では、趣味や家族・家の周りの事など一般的なごく普通の会話も交わされた。
ボクの趣味は山歩きであること、それもあまり人の歩かない未知の道を開くことであること、
丹沢を中心にHPを開設していること、やはり丹沢を中心に本も出していることなども話題にあがった。
どんな小さな話でも熱心に耳を傾けてもらえることが嬉しかった。
何でも吸収しようとする若々しさを新鮮に感じた。

1時間はあっと言う間に過ぎた。実習の終わった後全員そろって病室に戻った。
「ありがとうございました。来週もよろしくお願いします!」
若いってそれだけで素晴らしい。自分の力で切り開いていく未来があるから。
この日の評価と記録は後日知らされるという。結果も楽しみだがそれ以上に来週の実習を待ち遠しく思った。

<実習2> 10/21(金)

この日はバランス機能や歩行時の様子、階段の昇り降りなどの検査・観察が行われた。
・膝関節の外旋角に左右差があるが、筋力も関節の動きも特に問題はない。
・片足立ち、継ぎ足は0~数秒程度。安定して立つためには介助が必要。
・その場回転(360°)はゆっくりならできる
・歩く時左手の振りが弱く右足が外を向く傾向がある。右方向に曲がる様子が見られる。
・歩く時の姿勢が前屈みになり左右へのふらつきも認められる。
 
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一般的な歩き方

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高齢者に多い歩き方

こんな現状から以下の事柄がボクの当面の課題となるのだろう。
〇歩行器を利用して安定した歩行姿勢(背筋を伸ばし歩幅を広くとる)を獲得すること。
〇そのために足元ではなく少し遠くにあるものを目標にして歩くこと。
〇杖や歩行器は軽く触れる程度とし肩や腰が左右に振れないよう意識しながらゆっくり歩くこと。
〇膝立ち歩きのように膝の上にしっかり体重を乗せること。
〇左右にぶれない"美しいゆったりした歩き"を心がけること。

食事の時間には同じテーブルに座っている患者さんどうしで「実習」が話題になることがあった。
「イヤ~、今日は4時間もあって疲れました。」という患者さんが多かった。
ST+OT+PT+実習、合わせて4回/日の活動。今回はPTの実習であることから筋トレも多く含まれる。
でもボクは通常のリハビリに1時間プラスされたことで「得をした」ように思った。
現在の状態が分かるばかりでなく課題をみつけることができるなんて、これ以上望むことがあるだろうか。

<実習3> 10/28(金)

SARA(Scale for the Assessment ando Rating of Ataxia)=サラ=と呼ばれる協調運動検査が行われた。
SARAとは「失調」を総合的に評価する検査とのこと。
後日送られてきた評価レポートの中から、課題としてあげられる項目を以下に記す。
・歩行:継ぎ足歩行はできるが10歩を越えることができない。
・立位:足を揃えて10秒より長く立てるが動揺する。
・言語:言語障害があるが、容易に理解できる。
これらの項目はこの文章を書いている現在(2017/03/15)も在宅リハビリの課題として残っている。

もう最後の日? 若い人たちから刺激を受ける「実習の時間」は楽しかった。
全体でもわずか3時間だったけれど、一緒に過ごした時間の証しを何か残したいと思った。
前々日(10/26)の夕方、地下の売店で色鉛筆とのりを買った。
26、27日の二日間、もみじの葉を写し絵にして短冊型に切ったノートの裏表紙に貼り「栞」を作った。
「セラピスト目ざして」 …ひと言書き添えたように思う。

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もみじの写し絵

作りながら、職業人としてスタートしたころの自分を思い出していた。
今よりずっと若かった20台前半の誕生日。
当時所属していた民間教育研究サークルの仲間からプレゼントされた一冊の本、
その裏表紙に寄せ書きが書かれていた。
「誕生日おめでとう」的メッセージの多い中で、
”教えるとは未来を共に語ること。=ルイ アラゴン=”
という一文が印象に残った。
共に未来を語り合う=子どもと共に育つ。この時以降このフレーズがボクの職業上の拠り所となった。

教える側を看護(介護or療法)、対象を患者さんに置き換えても意味は同じではないだろうか。
患者さんの目や表情、口ぶり、素振りから感情を読み取ることができたらどんなに良いだろう。
患者さんと共に『未来を生きる喜び』を語り合い共感し合えたらどんなに素晴らしいだろう。

患者さんの気持に寄り添い、
丸ごと受け止め、
共に成長できるセラピストに…。
そんな願いを込めながら。

2017年3月 1日 (水)

東病院編:リハビリ4

食事

入院生活の中での楽しみは何と言ったって三度の食事。なにしろ一日を活動する全エネルギーの源だから。
当時のボクは小脳失調による運動機能の改善や複視・発話機能の改善を目ざしていた。
と同時に糖尿病の治療も続けていた。

転院した当初の食事摂取量は19単位。
Fuk.Drの説明…
・19単位とは1単位80kcalだから80kcal×19=1520kcalになる。
 適正calは体重1kgあたり25kcal。ボク場合およそ1500kcalが安静時必要摂取量になる。
・しばらくの間一日4回血液採取・検査を行い血糖値の推移を診ていく。
 食事の量も経過を診ながら決めていく。

病院食の特徴でもある薄い味は、普段からの薄味に慣れているボクには平気だった。
おいしくいただき毎回完食だった。

リハビリが順調に進み自主的に体を動かすなど運動量が増えていくに連れて
朝や夕方には強い空腹を感じるようになった。
食べているのに体重が増えない、…どころか転院時より減っていることも気になった。

朝食前・昼食前・夕食前・就寝前、一日に4回測っている血糖値が9月3日(土)夕食前に『66』だった。
血糖値が60以下になると寒気や冷や汗など低血糖の症状が出てくると言われる。
糖分の補給が急ぎ必要な状態だ。すぐに砂糖水(?)のような甘い飲み物が出された。

9月4日(日):19単位のメニュー

朝食

S0904a
無塩ロールパン90g、ハムソテー、キャベツのサラダ(ノンオイルドレッシング サウザント)、ミルク

昼食

S0904b
ご飯150g、鶏肉のピカタ、ビーフン、サニーレタスのサラダ(ノンオイルドレッシング 青シソ)

夕食

S0904c
ご飯150g、鮭のカレームニエル、小松菜煮浸し、切干大根の酢の物

きちんと食べているのに食事前血糖値60~70台の日が続いた。体重の増加も見られなかった
食事の配膳が早めになり、6日(水)からはインスリンの分泌を促す薬の服用もなくなった。

13日(火)には栄養士さんが部屋まで来て「食事」について説明してくれた。
以下、栄養部・管理栄養士.Kitさんの話。
・食事をしっかり摂っていることは承知している。血糖値が低いことも看護師から聞いている。
・現在の体重が転院時の体重より減少している。これ以上体重を落としたくない。
・リハビリの運動量と糖尿病の数値を総合しながら食事の量を増やそうと考えている。
・ただし、成人男子事務労働者の必要カロリー(1840Kcal)はまだ多いと思われる。
・具体的には現在の19単位(1520Kcal)から21単位(1620Kcal)に増やし様子を見ようと思う。

この説明通り、翌14日の昼食から21単位(16800kcal)に変った。19単位(9/4の写真)と比べて違いが分かるだろうか?

9月14日(水)昼食

S0914b
ご飯150g、和風ハンバーグ、茄子の田舎煮、薩摩芋の甘煮、果物(メロン)

9月14日(水)夕食

S0914c
ご飯200g、魚の野菜あん(90g)、海老のケチャップ炒め、ホウレン草のお浸し

9月15日(木)朝食

S0915a
無塩ロールパン120g、ロールキャベツ(3個)、
トマトとアスパラのサラダ(ノンオイルドレッシング サウザン)、ミルク

10月4日(金)の昼食からは21単位から23単位(1840kcal)に増え、
一時中止になっていた血糖値の測定も週2回行われることになった。
23単位とはどんな食事量だろう。19単位(9/4朝・昼・夕)、21単位(9/14昼・夕・15朝)と比べてみよう。

10月4日(火)昼食

S1004b
ご飯150g、さばの味噌煮(80g)、オクラのお浸し、マッシュポテト、果物(バナナ)

4日(火)夕食

S1004c
ご飯200g、麻婆豆腐、白菜の即席漬け、野菜のスープ煮

5日(水)朝食

S1005a
無塩ロールパン120g、オムレツ、野菜の洋風煮、ミルク

ご飯、パンなど炭水化物系の食品が増えているのだった。
機能食品やおかずなどもう一品、ビタミン・ミネラルやたんぱく質系が増えるともっと嬉しいのだけれど。

退院に向けて

10月15日(土)は試験外泊。
バスで大野駅まで。バスを降り家まで歩いて帰る途中スーパーに立ち寄り食材を買った。
65日ぶりの我が家。持ち帰った衣類の洗濯、机の整理。
PCを立ち上げセキュリティソフトの更新、メールチェック、宣伝・ゴミメールの削除。

…これだけで夕方になってしまった。17時を少し過ぎたころ台所に立った。
メールチェックをして料理を作ろうと一時帰宅の前から決めていたのだ。
この日作ったのは玄米ご飯、ぶりの照り焼き、肉じゃが。
翌16日の朝食は玄米フレーク+牛乳、ポテトサラダ、果物(キウイ)。

HP「独り言」の更新をしたらもう10時、病院に帰る時刻だった。
昨日のバスの混み具合と道路の渋滞を考えて帰りは歩くことにした。
10時35分家を出た。相模緑道をシルバーカーを押しながらゆっくり歩く。
途中休憩を入れ東病院に戻った時12時35分だった。
約1時間だった。長い時間、長い距離を歩き通したことでまた一つ自信がついた。

病院でも退院に向けての準備が着々と進められた。
退院した後、家での生活で気を付けること、…という趣旨で17日(月)には妻を交えて栄養相談が行われた。

栄養士・Kitさんの話。
・1日に必要なエネルギー量の計算方法
 1.標準体重は?
  身長(m)×身長(m)×22=61.4kg
 2.必要エネルギー量は?
  標準体重(kg)×エネルギー係数=61.4kg×25~30kcal/kg=1535~1842kcal
  ※エネルギー係数25~30kcal→ディスクワークが主
 3.1日に必要な単位は?
  必要エネルギー量÷80=19~23単位
・1日の食事量
 炭水化物
  主食:無塩パン120g、ご飯_昼150g、夕_200g
     そば茹で240g うどん茹で 250g
     献立に合わせて1種類
  副菜:薩摩芋・じゃがいも・南瓜・里芋など60g
 タンパク質
  主菜:魚60~80g程度、肉60~80g程度、スライスチーズ1枚、卵1個、豆腐1/3丁
     1日5品分配膳
  乳製品:牛乳200cc
 脂質
    油大さじ1杯
 ビタミン・ミネラル
    副菜:野菜、きのこ、海草類など1日300gの野菜が3食に分けて配膳
  果物類:オレンジ1個、バナナ1本、キウイ1個半など1単位分が配膳

こうした説明をもとに病院で出されてきたメニューを思い返すと「なるほど」…と納得できる。
ただ当時の体重は52.6kgで標準体重に比べてもはるかに少ないことが気になっていた。

二日後の10月19日(水)、巡回に来たFuk.Drから更に詳しい説明があった。
・元々糖尿病があったが入院によってきちんと栄養管理が行われて血糖値が下がった。
・理想体重に対する必要calを計算すると 61.4kg×30kcal÷30で23単位。
・体重減を気にしてcalを増やすと血糖値が再び上がるおそれがある。
・血糖値を下げる薬など薬剤管理は退院が決まった段階で改めて指導がある。

糖尿病があると血糖値の管理が面倒だ。
しかし食事に特別なメニューがあるわけではないし、食べてはいけないものがあるわけでもない。
1.適正な食事量、2.バランスの良い食事、3.1日3食規則正しい食事…を守るだけだ。

妻の勧めもあり退院してからのボクはずいぶん料理の本を見た。
カラフルでおいしそうな料理の写真は眺めるだけでも楽しかった。
料理番組を録画している妻の勧めもあってTV(録画)も見るようになった。
・上沼恵美子のおしゃべりクッキング TV朝日 毎週月曜~金曜 お昼1:45~
・キューピー3分クッキング      日テレ 毎週月曜~土曜 昼11:45~
・おかずのクッキング        TV朝日 毎週土曜    朝6:00~
…など。

"退院したら料理を作ること"がボクの目標だった。
今は実際に毎朝の食事作りや毎食後の食器洗いはボクの担当になっている。
最近何日か分の朝食を以下に記す。
野菜たっぷり、乳製品を必ず、彩りも考えた盛り付け…が特徴だろうか。

2月17日(金) 朝食

S20170217
・巣ごもり卵(卵、小松菜、トマト) 
・キャベツとウィンナのクリーム煮(キャベツ、ブロッコリー、ジャガイモ、ウィンナ、牛乳)
・くるみパン(小)、バナナ、ヨーグルト

2月27日(月) 朝食

S20170227
・白菜とベーコンの中華風煮(白菜、ベーコン、にんにく)
・温野菜サラダ(ブロッコリー、ジャガイモ、ニンジン、キャベツ)
・くるみパン(小)、バナナ、ヨーグルトinブルーベリー

3月1日(水) 朝食

S20170301
・オニオンスープ(玉ネギ、キャベツ、ウィンナ)
・キャベツのポテトサラダ(キャベツ、ジャガイモ、ニンジン、キュウリ、玉ネギ、ハム)
・くるみパン(小)、バナナ、ヨーグルト

料理は科学実験に似ている。材料(食材)をそろえる。火(調理)を使う、薬品(調味料)を加える。
その結果、熱と食材と調味料が化学反応して「おいしさ」が生まれる。
…調理は楽しい。早起きも苦にならない。(6時起床・調理、6時45分頃朝食)

メニューを考える、材料をそろえる、手順を考えて調理する、盛り付ける、食べる、片づける…。
料理をつくることで頭が鍛えられ、情緒も安定、認知症防止にも役立つという実験結果も報告されている。
・料理で「脳」が活性化!(大阪ガスホームページ「食育」)
 http://www.osakagas.co.jp/shokuiku/ryori_no.html

作ることで脳の活性化を図り、食べることで健康と活動のエネルギーを生み出す。
こんなに良いことづくめのリハビリ・プログラムは他にあるだろうか。
今はまだ毎朝の食事を作ったり時々昼食を作ったり夕食の副菜を作ったりなどが中心だけれど、
慣れてきたら夕飯の主菜やデザート(クッキー、ケーキなど)作りなど、もっともっとチャレンジしたいと思う。

2017年2月23日 (木)

東病院編:リハビリ3

<眼>

2016年9月半ばのある朝、目が覚めて天井を見る。ベッドの真上に煙探知器がある。
顔を左に傾けやや右正面で見ると一つ、それから探知器を見ながらゆっくり顔を右に回す。
真正面から更に右に傾けやや左正面で見ると像は二つ。一つのはずの煙探知器が二重に見える。
今日の見え方もいつもと同じ。明日はきっと…。毎朝期待しながら見るのだけれど…。
              
「眼の位置が変。どっち向いて話しているのか分からない。」
ボクの眼は左右がズレているばかりか動きもシンクロしていないようだった。

ボクの眼は…

Photo



「退院後のQOL(Quality of Life=生活の質)をとても不安に思う。」
後日、当時のボクの「眼」について妻はそんなふうに話してくれた。

主治医Fuk.Drの話。
左右に振られたペン先の動きを目で追った時の動きを診て。
・右目はいくぶん外を向いている。左目は左端方向への動きがよくない。(9/01)
・複視(二重に見えること)の治療と体のリハビリは違う。
 たぶん神経の問題だから薬で今すぐ…というよりしばらく様子をみよう。
・本院の眼科を受診できるよう計画している。
 二重に見える問題が解消できればパソコンなども可能になる。(9/08、9/12)

こんなふうに顔を合わせる度にこまめに声をかけてもらえることがありがたい。
最も気になる問題についてのアドバイスや治療方針のていねいな説明が安心感にもつながる。

9月13日(火)の回診では次のような話もあった。
・本院の眼科受診が9/20(火)9:30~に決まった。
 症状の改善に向けて複数の方針が提案できるだろう。
・KMCの主治医O.Dr(手術の執刀医)とも連絡を取り合っている。(以下 O.Drの話)
 視覚神経は小脳の前部にあり、手術は後部からしているので前部には触っていない。
・手術からまだ1ヶ月。100%大丈夫とは言い切れないが今後改善していく可能性はある。

今まで顔をハスにして目をやや右正面に向けないと二重に見えていたモノが、
9月半ば辺りからは真正面で見ても重なっていないことに気が付いた。
斜め(ハス)からではなく正面から向き合って話をすることができる。
(神経の)麻痺は少しずつ改善されているようだ。良くなってきている!
Dr.が説明した通り改善の兆候が見えてきていることがいっそうの励みとなった。

<眼科受診>

9月20日(火)
朝食の時間、Fuk.Drの巡回があった。
「今日は眼科の受診ですね。
 担当のIsh.Drは私の友人でとてもいい先生です。」

「気を付けて行ってらっしゃい!」
いつものように「ヤッ!」という感じで手を上げた。
不安だった気持ちが診てもらえるという期待と安心感に変った。

本院と結ぶシャトルバスの予約は9時10分。
「そろそろ時間ですね。」
看護師が迎えにきた。当時まだ立って自力で歩くことはできなかった。
車椅子のまま移動できるマイクロバスだから遅れるわけにはいかないのだ。
しかし8時45分に来ると約束していた妻はまだ来ていなかった。
9時を過ぎてもまだ姿を見せなかった。まだか、まだ来ないか…。
「じゃぁ、私が付き添いましょうか?」
今日担当のS看護師が言った時、エレベータを降り急ぎこちらに向って来る妻が見えた。
朝からの雨のため車も道路も渋滞していたのだった。バスの中でイライラと足踏みをしていたと言う。

しかしとにかく間に合ってよかった。S看護師に代わって妻が車椅子を押す。
エレベーターで1階に降りシャトルバスに乗る。後部フロアに車椅子を固定してもらったら出発。

本院(K大学病院)はいつ来ても患者さん、付き添い、病院関係者の人たちで賑わっている。
長く待つかな…と思ったけれど、予約がしてあったためか比較的スムースに進んだ。
2階眼科診察室で問診。
器械のたくさん並んでいる検査室で視力検査・眼底検査・レンズを替えて検査など。
そして再び診察室へ。

眼科担当Ish.Drの説明。
・複視(モノが二重に見えること)は、
 神経や筋肉のマヒによる焦点のズレや動きの悪さが原因であると考えられる。
・こうした症状は脳外科手術をした人にはよく見られる。

モノの見え方

Photo_2

眼球を動かす筋肉について
・手術する、薬で改善する、プリズムレンズで補正する、(マヒが)自然に治まるのを待つ…。
 いくつかの選択肢がある。今は改善傾向にあるのでしばらく経過を見ることにしよう。
・眼球を動かすリハビリにも取り組む。目が疲れない程度ならTVやPC、読書もOK。
・次回は10月24日(月)10時。その時の診察で以降の方針を考えよう。

ていねいで分かりやすい説明に好感が持てた。

<再受診>

10月24日(月)

この頃は、原則として病棟内は杖、病棟外はシルバーカー等、それぞれ介助具利用の歩行許可が出ていた。
この日は自宅から持ってきたシルバーカーを押しながら本院へ向かった。
本院と結ぶシャトルバスも車椅子専用ではなく一般のマイクロバスを利用した。

やっぱり混んでいて前回(9/20)より時間はかかったけれど、事前に予約が入っていたこともあって
流れはスムースだった。今日は検査室ではなくすぐに診察室に案内された。Ish.Drが笑顔で迎えてくれた。

前回の検査結果を確認したり、備え付けの器械で目の奥を診たり、ペン先を追う目の動きを診たりした後…。
・劇的に良くなっています。もうこちらに来る必要はないでしょう。
・パソコンを見たり本を読んだりなど目を使うこと自体がリハビリになります。
何かあったら…ということで、相模大野駅近くの眼科医院を紹介してくれた。

良くなっているという言葉が嬉しかった。とりわけパソコンや本も大丈夫という話が嬉しかった。
相手の顔を正面に見て話すことができる、天気情報やニュースなどTVを見る事ができる、
雑誌や新聞、妻が持ってきてくれる本や写真集を見る事ができる。
見る事が「できる」とはこんなにも生活を豊かにしてくれるものなのか…。
今まで当たり前にできていたADL(日常生活の基本動作)が今まで通りに「できる」まで回復してきたのだ!

この文章の下書きを書いている時点(2017/02/21)では
立ったり歩いたり、見たり読んだり、話したりすることが「できる」。
けれど、
静止の状態から立ち上がった時や歩き始めた時、前後(左右)に振られるような感覚(足元がおぼつかない)がある。
自転車や歩行者など動きのあるもの、人の多い場所ではめまいやふらつきを感じる。
動きのあるものやパターン化された模様(壁や歩道などの)を見ると頭の中がフラッと揺れる。
新聞や本など細かい文字を見続けると涙目になったり目の奥が痛んだりで集中が10分と続かない。
こんな状態だから単独(付き添い無し)で行動するには不安の方が大きい。

(〇〇が)「できる」ということが願いではない。
ボクはさらに
・本や新聞、ネットなどを通して好奇心を満たしたい。
・会話やパソコンなどを通して自分の考えや思いを発信したい。
・家庭内の日常活動、特に料理など作れるようになりたい。
・近隣の公園や丘陵地はもちろん、野山を再び自由に歩きたい。

(〇〇が)「できる」まで回復してきたことはとても嬉しいし今まで頑張ってきた事への励みになる。
しかしボクは、さらに(〇〇を)「している・続けている」へ進みたいと思う。
QOL(Quality of Life=生活の質)をもっと高め、妻の不安を解消したいと願っているのだ。

2017年2月 9日 (木)

東病院編:リハビリ2

6:00 起床
7:00 朝食
    <リハビリ>
12:00 昼食
    <リハビリ>
18:00 夕食
21:00 就寝準備
22:00 消灯

スタートライン>

リハビリは毎日行われる。(土・日・祭日はPTとOTのみ)
夕方には予定表が配られるので翌日の心積もりができありがたい。

転院して三日ぐらいたてば病院生活にも慣れてくる。
リハビリのない時間このまま何もしないで過ごすことがもったいないように思えた。
ボクの障がいは今、どんな程度なんだろう? 回復はどこまで進んでいるのだろう? 
現状を踏まえた上で「もし退院できたらやりたいこと」を書き出してみた。

自覚している症状:
・目の焦点が合わず、見るものが二重に見える。(視覚障がい)
・ろれつがまわらず言葉がスムーズに出てこない。(言語障がい)
・めまい・ふらつきがあり、バランスよく安定して歩くことができない。(歩行障がい)
 …

やりたいこと:
・本や新聞、ネットなどを通して好奇心を満たしたい。
・会話やパソコンなどを通して自分の考えや思いを発信したい。
・家庭内の日常活動、特に料理など作れるようになりたい。
・近隣の公園や丘陵地はもちろん、野山を再び自由に歩きたい。

やりたいこと(目標=希望)がはっきりしたら実現に向かって具体的に努力するだけだ。
目標は早速先生に伝え、その後のリハビリ計画にも取り入れてもらった。
行動を始めるにあたって早いとか遅いとかなんかはない。
いつだって今が "スタートライン" なのだから。



ST=言語(言語療法):

発話など主にコミュニケーションの機能訓練

眼のトレーニングや言葉のリハビリに加えて自由会話の時間は楽しい。
話を最後まできちんと聞いてもらえることは何よりもの励みになる。
加えて
音声が言葉として発せられる仕組みや日本語の成り立ちなどは知的好奇心を刺激する。
知らなかったことを知ったからといって実際の生活に直接役立つわけではない。
けれど好奇心が満たされると気持の上でも満足感が広がるような気がする。
気持の充足感は生きる意欲にもつながっているような気がする。

発声と共鳴・構音>

のど仏の少し上を左右の指で軽く押さえ「あ~」と声に出す。指先にかすかに振動を感じるだろう。
口を横に開いて広頸筋を緊張させ「い~」と声に出した方がより振動を感じやすいかも知れない。
・肺からの呼気が声帯を振動させ音声に出すことを発声という。
・咽頭や口腔・鼻腔(共鳴腔)の形を変化させることで音声に特徴が生れ
・さらに舌や歯、唇をさまざまに変化させて音声の流れを変えることで
 言葉としての音声を作ることを構音という。
※発声も共鳴も構音も、全て脳神経の働きによって制御されている

「今週は声を『見て』みましょう!」
「えーっ! 『聞く』のではなく『見る』のですか?」
そう、声は見ることができるし、その状態を分析することさえできるのだ!!

通常は3階の言語聴覚室で行われる言葉のリハビリ。この日は1階にある教室に場所を変えた。
机の上に小さな機械とパソコン、ディスプレイ、マイクがセットしてある。
大きく息を吸い込みマイクに向かって「あ~」と声に出した。
ディスプレイにスケッチのような波形が見えた。
声は空気の振動である。空気の振動を電気信号に変えて視覚化しているのだ。

01
                                     声を見る

波の形をよく見ると、最初は一定だが時間が経つにつれ切れ間が見えてくる。
息が続かなくなり声が途切れてくるのだ。
安定して声を出すためには一定の時間が15秒以上、目標として20秒は必要だそうだ。

リハビリを始めた頃のボクの安定した発声時間は10秒そこそこだった。
呼吸の仕方、声の出し方、声帯のトレーニング…。
リハビリを続けることで後半には15秒=目標時間=を安定して越えることができるようになった。

02
                    発声練習(声帯のトレーニング)

声帯>

ボクの声は少しかすれている。加齢のために声帯がゆるみしゃがれ声になる場合があるという。
ボクの場合は加齢のためか失調によるものなのか。原因を探るため声帯を見る検査があった。
自分の発声器官を自分の眼で見る事ができる。これほど興味深いことはめったに訪れないだろう。

2階にある耳鼻科・検査室。鼻から喉頭内視鏡を入れる。
「今、〇〇です。」。
鼻腔-咽頭-喉頭蓋、更にその奥へ…。次々に映し出されるモニターの画像に見入った。
つばを飲み込もうとしたとき一瞬画面が白く消え、
「あ~」とか「い~」とか声に出した時、
膜のようなものが閉じて細かく震えている様子が見えた。
震えている薄い膜が声帯だ。
声帯がぴったりと閉じピーンと張っていれば「伸び・艶のある声」になる…と後の説明で聴いた。

03
                          声帯(イメージ)

ボクの場合
・左の声帯がやや痩せている。
 体重の減少や左半身の筋力がやや低下しているのと関連しているのかもしれない。
・神経のマヒは大きな手術の後なので、体重増加や筋トレで改善するかどうかは分からない。
 ただ筋力は使わなければすぐに衰える。
・音読、会話など声に出す、大きな声で歌うなど、声を出すための筋肉も積極的に使おう
…という診断だった。



PT=足(理学療法):

歩行・階段など主に足を使う日常生活の機能訓練

通常は3階のリハビリ室で行われる。
歩行器や杖を使った外歩きのリハビリも始まった後半は1階のリハビリ室で行うことも多くなった。
小さな体育館とでもいえそうな広さでリハビリ用のベッドはもちろん大形の訓練機器も充実している。

04
                    1階リハビリ室

リハビリの中心課題は
①体幹を鍛えバランス能力を高める
②安定した歩行
であり、具体的な内容は前回書いた通り。

課題を実現させるためにはいくつかの段階とチェック項目があり、
項目を一つ一つクリアしていくことが求められる。

移動を例にとると…車椅子→歩行器→杖→フリー…という段階がありそれぞれにチェック項目がある。
・車椅子による移動
 付き添い(介護)→見守り→自立(フリー)↓
                   ・歩行器による移動
                    見守り→自立↓
                          ・杖など補助具利用による移動
                           見守り→自立(フリー)

それぞれの段階をとばす(抜かす)ことはできない。リハビリは段階を踏みながら進められる。
こうした段階は食事、薬の服用、入浴施設の利用、トイレの利用など入院生活の全てに適用されている。
専用の車椅子や歩行器がいつもベッドの脇か部屋の入口にあり、必要なときはいつでも使うことができる。

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               ボクが使っていた車椅子

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          ボクが使っていたキャスター付き歩行器

一つのピークに到達すると次のピークが見えてくる。そのピークに達するとまた新たなピークが見える。
こうして細かなピークを一つひとつ登って行くことで最終的に目的としていた山頂に到達している。
大きな目標(最終目標)は難しくても、現在の力を基にした小さな目標ならクリアすることが可能だ。
(いちいちチェックされることを)煩わしい、面倒だ…と感じる患者さんも多いようだけれど、
山の好きなボクはこうして山歩きに例えながら課題の実現に向かった。

歩行器がフリーになる頃、ボクは病棟(西棟3階)の長い廊下を歩行器を利用した自主トレに励んでいた。

07

1日に5~10往復。何日間か歩いた時の端から端までの平均歩数は104歩だった。
たまたま同じ頃1階のリハビリ室で歩行テストがありボクは16mを24歩で歩くことが分かった。

このことから、
・1歩当たりの歩幅=距離÷歩数=16m÷24歩=およそ0.67m/歩
・病棟の長さ=歩幅×歩数=0.67m/歩×104歩=およそ70m

自主トレで5往復すると、
・歩いた距離=長さ×往復回数=70m×5×2=700m

これはボクの家から大野駅近くのスーパーに行ってもおつりのある距離だ。
こうしてボクは病院にいながらスーパーに何回も買い物に行くことを想像することができたのである。

08_2
                    丹沢を見る(食堂から)

09
                    丹沢を見る(病室から)

更に自主トレの往復回数を10往復、20往復と増やすことで歩く距離を2km、3kmと延ばすことができる。
窓から見える丹沢・大山の稜線や尾根や谷。ボクは居ながらにして山歩きを楽しんでいる想像さえできたのだ。



OT=手(作業療法):

食事・洗濯・炊事など主に手を使う日常生活の機能訓練

東病院で初めてOTのリハビリを受けたのは転院して2日目、9月2日(金)だった。
この日の日記には
”・リハビリ室の棚には面白そうな道具がたくさんあってこれからのリハビリが楽しみ。
 ・担当の女性は山歩きが好きで40lのザックを背負って歩くという。山の話も楽しみ。”
…と書いてある。

リハビリは毎回腕や肩・首の筋肉を解きほぐす事から始まる。
とりわけ首筋のマッサージは眼の奥がツーンとするなど頭が軽くなるような気がして心地良かった。
風船バレーやバランスボールのキャッチなどゲーム的なリハビリも楽しくて次の時間が待ち遠しかった。

リハビリプログラム>

驚いたことがある。お手玉ピッチャーをしていた時のこと。
キャッチミットに見たてた的(カゴ)の中にお手玉を投げ入れる動作。
始めは下手投げだった。
だんだん慣れて距離が伸びても(3~4m)入るようになった。

「じゃあ、今度は上から投げてみましょう!」
野球のピッチング動作を想像してみよう。ボールを投げる時、体はどのように動くだろう?
(右投げの場合)、
①投げる前、重心が右足に乗っている。
②投げる時、腰や肩が1/4以上回転する。
③投げ終わった後、重心が左足に移動している。
…こんな一連の動作が自然にできているのだ。
まだ車椅子での移動で、安定して立ち、歩くこともできなかったボクが!

「とてもきれいな投球モーションをしている人がいる」
同じ時間帯にリハビリをしていた患者さんが言っていた…と後で聞いた時は自分でも不思議に思った。
歩行に欠かせない体重移動が無意識のうちにできている。プログラムの内容がそれほど優れているのだ。

キャスター付き歩行器で見守り歩行ができる段階に入った頃
ゴム風船を左右の手で交互に打ち上げながらリハビリ室を一周する。というプログラムにも取り組んだ。
廊下と部屋で空気の密度が異なる。歩くことでわずかなな風が起こる。
そんな空気の微妙な動きに風船の動きも微妙に変化する。しかも右・左と交互に手を使うのだ。
オットット…、足がもつれて体がよろめく。しかし無意識のうちに足がパッと出て倒れようとする体を支える。

しりとりをしながら風船バレーをする。というプログラム。
課題の言葉を上げながら打ち返す。しかも一度上げた言葉は使えない。最初の2~3往復は調子よい。
しかし2~3往復で4~6個の言葉が上がる。課題の言葉もそんなにたくさんはでてこない。
う~ん、考えているうちに風船を打ち損じてしまう。ラリーが続くのはせいぜい3~4往復までだ。

このプログラムは微妙に難しい。けれど楽しい。体だけでなく頭も集中して働かせている!
複数の作業を同時に行う「デュアルタスク」。脚だけでなく頭を鍛え転倒予防に効果があるという。

調理実習>

リハビリ室の棚には様々なグッズが置いてある。その中に"ままごとセット(?)"もある。
「今日は料理を作りましょう」
棚から取り出したままごとセットの包丁やお皿をリハビリ用作業机の上に運ぶ。
シリコン粘土を細長く伸ばしキューリに見たてて薄切りにする。
粘土は時にはダイコンやジャガイモ、餃子の皮や餡にも形を変える。
ボールの中で練ったり混ぜたり、お椀に水を入れてこぼさないように運んだり…。
料理作りはままごとのような真似事でも十分楽しい。

ある日先生に聞かれた。
「何を作りますか?」
ままごとではない。本物の料理を作るのだ。妻に頼んで料理の本を持ってきてもらった。
まだ文字を読むことは出来なかったが、出来上がった料理のカラフルな写真を見るだけでも楽しかった。
その中でボクが選んだのは「肉じゃが」。妻に材料と手順を書きだしてもらった。
今まで自分の家で料理を作ったことはあるけれど、リハビリの一環として病院で実習ができるなんて!
数日前から嬉しくて、料理本の写真を見たり妻が大きく書いてくれたレシピの手順を何度も確認したりした。

実習は1階にあるOT用リハビリ室で行われる。
部屋の一角に食器棚や冷蔵庫、システムキッチンまで整備されていることに感心した。
前日に渡したメモを基に、全ての材料は先生が用意してくれた。栄養部を通して「出汁」まで準備してある!
食材の皮をむく、一口大に切る、炒める、水と調味料を入れ、アクを取りながら煮込む。
先生と妻が見守る中作業して作るのはボク。30分ほどで完成、試食。

「甘すぎる!」
妻の評価はいつも辛口だ。しかし肉じゃがは確かに甘すぎた。
計量スプーンについた油をそのままにして砂糖を量ったからだ。
スプーンの油に余分な砂糖がくっつき甘さが増したのだった。
量は正確に量ること、使った用具は水気や油気を拭きとること。
原因が分かれば次に備えることができる。多少の失敗はあったけれど調理実習は楽しかった。

メニューを考える、材料をそろえる、手順を考えて調理する、盛り付ける、食べる、片づける…。
デュアルタスク(二重課題)の要素がたっぷりの「料理作り」は認知症予防や転倒防止に最適なリハビリなのだ。
退院し自宅リハビリに励んでいる現在、食後の片付けや朝食作りはボクの分担になっている。
ちなみにこのブログの下書きを書いている日(2017/02/07)、朝の食卓は…。

10
ミルクの野菜スープ(白菜、ブロッコリー、ジャガイモ、タマネギ、ハム、牛乳)
温野菜サラダ(ウィンナソーセージ、キャベツ、ジャガイモ、ニンジン、トマト、キュウリ、モッツァレラチーズ)
くるみパン、ヨーグルト、バナナ

食欲のあることは良いことだ。
食事はこれから始まる一日の活動を保証するエネルギーの確実な源(みなもと)だから…。

2017年1月23日 (月)

東病院編:リハビリ1

一日の始まり

お早うございます。灯りを点けます。」
看護師の声がする。午前6時、起床時刻だ。しかしボクはすでに目が覚めていた。
環境の急激な変化で熟睡できず何度かトイレに起きた。
まだ自力で歩くことができない。その度にナースコールを押し車椅子を押してもらった。
寝付けないベッドの中で考えるのはあれやこれやの取りとめのない<良いことばかりではない>想像ばかりだった。

しかしカーテンが開き部屋が明るくなれば気持も明るくなる(ような気がする)。
目の前、介護机の縁に昨日の夕方配られた今日の予定が貼ってある。
やることがはっきりしていれば活力も湧いてくる。目の前の今できることに力を尽くすだけだ。
どうにかなるさ。今の頑張りはきっと報いられる。
…妻にいわせればこんな根拠のない「楽天性」がボクの取り柄なのかもしれない。

01
              予定表(9/2)

さて今日のリハビリ予定表。…この予定表は前日の夕方、夕食の前頃に配られる。
明日の予定が前日に分かるのは明日の計画が立てやすくありがたい。
(入院患者として病室で寝ている=療養する=ことが仕事だからヒマだろうと言われそうだけど
 決してそうではない。頭や体の機能を維持していくために、やりたいことがヤマほどあるのだ。
 なによりも、次=未来=を考えることができることは今を生きていることの何よりもの証拠ではないか!)

「食事に行きましょう」
介護師(介護助士?)が迎えにきた。
転院のためにレンタルした車椅子は昨日返してしまったから、今使っているのは東病院西病棟のボク専用の車椅子だ。
回復期リハビリ専門の東病院は患者の状態に合わせた介護用品の種類も数も豊富だ。
このときボクが借りていたのは自走用車椅子。
もちろん足こぎ式や介助用車椅子、簡易ストレッチャーにもなるリクライニング式車椅子もある。
こうした車椅子や歩行器がベッドの脇や病室入口の廊下に並んでいる。

02
            廊下に並ぶ車椅子

患者さんはこうした自分のために用意されている移動手段を使って病院内を移動しているのだ。
何回か車椅子を押してもらっているうちにボクも自分でハンドリムを操作して
行きたいところへ自由に行けるようになっていった。

食堂に入る。
テーブルに着いたことが確認されると介護師が朝食を乗せたトレイが運んできてくれる。
カードに、エネルギー1520kcal(19単位)と書かれていた。これは一日の総摂取量を表わす。
以下に9月2日(金)の朝食、昼食、夕食を記す。おいしいけれど量的にボクには物足りなく感じた。 

03
               朝食…
無塩ロールパン90g、目玉焼き、サラダ(ノンオイルドドレッシングサウザン)、ミルク

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               昼食…
ご飯150g、鶏肉の生姜焼き、茄子の磯部和え、果物(バナナ)

05
               夕食…
ご飯150g、サワラのムニエル(75g)、野菜の洋風煮、春雨サラダ

朝の食事が終わり薬の確認待ちをしていた時、Fuk.Drの回診があった。
担当する患者にニコニコと話しかけながらボクのところにも近づいてきた。
・メニュー表の19単位とは1単位80kcalだから80kcal×19kcal=1520kcalになること。
 適正calは体重1kgあたり25kcal。ボク場合およそ1500kcalが安静時必要摂取量になること。
・しばらくの間一日4回血液採取・検査を行い血糖値の推移を診ていくこと。
 食事の量も経過を診ながら決めていくこと。
・この病院は手・足・言葉のリハビリが専門であり歩行や日常活動・言葉のリハビリに力を入れていくこと。
・KMCで主治医だったO.Drとも連絡がよく取りあえていること。
 O.Drからの画像診断も参考に「左方向の見え方」についての改善方向も検討していくこと。

…こんな、ボクの症状に対応した話題ばかりではなく、
・KMCは廊下に絵画が展示してあるなどすばらしい病院だ。
 ここ(東病院)は廊下などのスペースがゆったりしているし、
 本院は教育機関という性格を持つなど、それぞれが特徴のある病院になっている。
・同じ質の病院ということより特徴のある病院を目ざしている。
…など、気さくに話してくれた。
話し方が柔らかくて説明も分かりやすかった。

Fuk.Drは朝食時には必ず回診し、たまたま食事が終わって部屋に戻っている時には
わざわざベッド際まで来て体調を確かめたり治療(療養)方針を伝えたりしてくれた。
ヤッと手を上げて挨拶する仕草やフレンドリーな話し方は、医師であり副院長であり大学教授であり…
という厳めしさより、どこか身近にある幼稚園の園長さんのような印象ですごく親しみを感じた。


リハビリ

OT

リハビリの時間が近づくと看護師(介護師)が迎えに来る。「行きましょうか?」…と。
けれどボクはできるだけ時間前にリハビリ室の前に行き入口で待つようにした。
同じように順番を待つ他の患者さんとの会話も楽しみだったから。

さて今日(09/02)は10時50分からOT(手=食事・入浴・炊事・掃除など日常活動=の動作練習)の予定。
予定よりずっと早い9時50分ころ、OT担当のSak先生が部屋に来て
「今日はこの病院での入浴の仕方について練習しますね」との話もあった。

時間になり先生が迎えに来て車椅子を押してくれた。車椅子の乗り降りも観察・評価の対象なのだ。
浴室は廊下を挟んで斜め前すぐ。浴室に入る前に入浴のルールや脱衣室・浴室の使い方などの説明があった。
・浴室は3ヵ所。2つは一般浴室、もう1つは機械浴室で介助が必要な患者さんのためのものであること。
・付き添い(介助)が必要な場合の入浴は原則として2回/週であること。
・付き添い(介助)→見守り→自力というステップの中で基本動作が可能なボクは「見守り」であること。
・浴室での動きを観察・評価しながら、いずれは「自力」へとステップアップしていくこと。
・自力にステップアップするとリハビリの時間外なら自分の都合の良い時間に予約し自由に入浴できること。

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              浴室

①衣服の着脱など脱衣室で準備をする
②手すりにつかまりながら浴室に入る。
③浴槽に湯を入れる。
④浴槽がいっぱいになる間に身体を洗う。
⑤-1浴室の手すりにつかまって立ち上がり湯船脇の座面(平らな縁)に腰を下ろす。
⑤-2湯船側の足から浴槽に入れ、座ったまま腰を回転させてもう一方の足も入れる。
⑤-3浴槽の手すりにつかまりながら足を片方ずつ伸ばす。
…湯船につかるまでの手順はざっとこんな感じ。
次に入浴する人のために、出る時は栓を開いて湯を抜く。シャワーで浴室全体を洗い流す。

暖かな湯に肩まで入れると体だけでなく気落ちまでほぐれるよう…。
時間も最大で45分/人とたっぷりある。
それにしても一人ひとりが入浴する度に湯を全部入れ替えるなんてなんと贅沢な!

話をしているうちに、OTのSak先生は山が好きな女性だと分かった。近いうちに北八ヶ岳に行くと言う。
今日の浴室担当だったDo先生も山が好き。お子さんが大きくなったら一緒に登るのが楽しみと言う。
この病院には山歩きの好きな人が多く、中でもOT担当の先生方の中には山歩きグループもあるとか。
入浴のステップアップも、OTのリハビリ時間も楽しみだが、これに山の話ができるという楽しみが加わった。


ST

言語聴覚室は3階と1階にある。特に指示がなければ通常は3階にある防音されている小部屋で行われる。
担当はYuk先生。話の聴き方や話題の引き出し方がとても上手で学校の先生みたいな雰囲気の女性。
リハビリを受けながら「こんなふうに話を引き出せば…」と、現職時代のボク自身を反省することしきり。

さてリハビリは昨日もあった。
昨日は主に
・呼気の長さ、唇や口腔の動きなどの検査
・発声練習 などを行った。

今日も昨日の続きでまず現状把握というところか。
・鼻の下に鏡を置き「あ~」とできるだけ長く発声する。鼻からの息もれがあると鏡が曇るのだ。
・発声練習(このブログを読んでいる皆さんも試してみませんか?)
 唇を使って「パパパ…」、舌の奥を使って「カカカ…」、舌の中央を使って「タタタ…」
 繰り返す「パタカ、パタカ、パタカ…」 
・呼気を細かく切って発声「ハハハ…」「ヒヒヒ…」「フフフ…」「ヘヘヘ…」「ホホホ…」など
 特にヘヘヘ…は言いにくく途中で息が切れそうになる。
 その他の応用<例>「アハアハアハ…」「イヒイヒイヒ…」など
・発声:有声音は声帯を振動させて発声。無声音は声帯を振動させずに発声。
 のどに軽く指を当てて振動があれば有声音、なければ無声音。
・構音:声帯から出た音を喉や舌・唇などあらゆる器官を使って「話し言葉」を作る
 「さ」行のように舌と歯の間を呼気が通過することで発声する摩擦音
 「ぱ」行のように閉じた唇から一気に呼気を通過させて発声する破裂音
 「は」行は「あ」行と口の形が同じで舌も唇も使わずに呼気を区切って発声。など
・外国語はtaskのように子音だけでも発音する言葉が多い、
 日本語はka-、ki-、ku-、ke-、ko-のように子音を伸ばすと母音になる。
 したがって日本語は言葉の一音一音をやや伸ばすように発音すると聞き取りやすい。 
 <例1>雲がきれいに見えます。
   (く-も-が-、き-れ-い-に-、み-え-ま-す)
     ku-mo-ga-、ki-re-i-ni-、mi-e-ma-su
 <例2>栄養が多い。
   (え-よ-が-、お-い)
     e-yo-ga-、o-i。
・言葉の練習(短文音読例)
 「青い家を買う」(ア行)
 「すがすがしい草原の朝にセミが鳴く」(サ行)
 「花屋で百合を4本買った(ヤ行)
 「臨時列車が六番線から発車する」(ラ行)など
・やや長い文の音読(例)
 「北風と太陽」など

発声や発音練習を始める前に眼のトレーニングも必ず行われた。
・左右、上下、斜めにある指先を顔を動かさずに眼だけで見る。それぞれの方向を各5往復
・先生が左右、上下、斜めに動かすペンの先を眼で追う。
・一点を見つめながら首を大きく回す。左回り・右回り各2回

歩行やバランスはもちろん、発声も構音も眼の動きも小脳がコントロールしている。
ふらつく・めまいがする、ろれつが回らない、二重に見えるという症状の原因は
小脳のコントロールがうまく機能していないということだ。 
こんなふうに「できて当たり前」のことを、今まで日常生活の中で意識したことなんてなかった。
言葉の成り立ちって面白い。心の動きって面白い。知らなかったことを知るって面白い!

眼のトレーニングや言葉のリハビリに加えて自由会話の時間も楽しかった。
話を最後まできちんと聞いてもらえることが何よりもの励みになった。
こうしてSTも待ち遠しい時間の一つになった。


PT

トレーニングのための部屋は3階と1階にある。通常は病室のある階と同じ3階の部屋で行う。
学校の教室が三つ分くらいの広さの手前にOT用の机や椅子、用具の入った棚があり、
奥にPT用のトレーニングベッドや器具・用具がある。

ボクの担当はMih先生。背がすごく高い先生で一緒に歩くとまさに「見守られて」いる感じがする。
ボクはMih先生が声を荒げたり大声を出したりする姿を見たことがない。
何のための運動か丁寧に説明してくれるし、少しの前進でも認めてくれるので「やる気」が出る。

さて1回目の今日(9/2)は脚のマッサージから始まった。
普段使わない筋肉を曲げる・伸ばす・擦る・もみほぐすことで体中の血液の流れが良くなる気がする。
緊張感が和らぎこれから始まる運動(トレーニング)へのパフォーマンスも上がるような気がする。

マッサージの後、歩行やバランスに関するいくつかの検査が行われた。
①両足を肩幅に開いて立ち、静止する。
②かかと・つま先をそろえて立ち、静止する。
③綱渡りをするように一方のつま先をもう一方のかかとに付けて立ち、静止する。(継ぎ足)
④片足で立ち、静止する。
⑤平行棒につかまり、足を使ってボールをパスする。
⑥やはり平行棒につかまり、足の裏に置いたボールを回す。(右回り、左回り)
⑦キャスター付き歩行器を利用した歩行練習
…など。

①②は1分以上できた。⑤⑥のボールの扱いも普通にできた。
③の継ぎ足は7~8秒で、④の片足立ちは1~2秒しかできなかった。
最後に血圧と脈拍の測定があった。呼吸も脈拍も乱れることはなく血圧も正常範囲内だった。

ボクの場合筋肉の力はあってもバランスを保つ能力に課題があるようだ。歩行は片足立ちの連続である。
安定して歩くためにバランス能力を高めていくことがこれからのトレーニングの中心になるのだろう。
15時20分から始まったトレーニングは16時までみっちり行われた。充実した時間だったと思う。
今日の評価が次に進む出発点となる。リハビリを通してどう伸びていくかが楽しみとなった。
明日からの本格的なリハビリがますます楽しみになってきた。

2017年1月12日 (木)

東病院編:転院

9月1日(木)

9時45分
KMC(K大学メディカルセンター=埼玉県北本市)のディールームから圏央道が見える。
ときおり高速道を走る車も見える。遠くの風景と緑系統の色彩は目を休ませてくれる。
窓の外に高速道など遠くの景色を見つめることも、ボクの目のリハビリの一環だった。
ボクの座る車椅子を乗せた介護タクシーは、その圏央道に乗り南へ相模原に向かっている。

01
                         圏央道

KMCは見えるだろうか? 後部フロアに固定された車椅子に座ったまま顔を右に向けた。
林の緑が車窓を流れるだけで建物を捉えることはできなかった。
転院したらもうこちらに来る機会はないだろう…。
病院の玄関を出てタクシーに乗る前、もう少しよく見ておけば良かった。
転院し新しい環境に変わる緊張感とちょこっとした寂しさの入り混じる複雑な感情だった。

まだ左右の視点が定まっているわけじゃない。
特に車窓を流れる風景など動きのあるモノは目をひどく疲れさせる。
目を閉じて車の振動に身を任せた。
スピードが落ちた…と感じた時が一般道に下りた時だった。

10時50分
相模川を越えれば東病院はもう間もなくだ。玄関前に着いた時10時50分だった。

KMCを出たのが9時25分だったからおよそ1時間30分。受付指定時刻は過ぎているが
KMCのソーシャルワーカー・Ninさんと東病院の受付との間で話がついている。
問題なく手続きを済ませることができてひとまずホッとした。

病院の受付ロビーに入ってまず驚いた。
手続きを済ませて車椅子を押してもらいながら病棟に向かう時もっと驚いた。
広い廊下、敷き詰められているじゅうたん。
ここは病院? ちょっとしたホテルに入るような気がした。

02
       廊下              談話コーナー

11時00分
車椅子のままエレベーターで3階西病棟に上がる。病室はカーテンで区切られた2~3m四方の空間。
4人部屋の廊下側で中央通路の奥に大きな窓がある。可能なら外が見える窓側が良かった…。
部屋の大きさはKMCの病室と変わりない。違うのは食膳を乗せる介護机にTVが固定されていること。

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       頭側                足側

ボクの担当看護師はIzさん。
荷物の整理をする暇もなく入院生活に関する説明が行われた。ただしたくさんあって覚えきれない。
(以下にその一部を案内プリントから抜粋。回復期リハビリ病院である特徴が伝わるだろうか?)
・担当医師はFuk.Drであること。
・食事は原則として食堂で摂ること。
・毎日ST、OT、PTのリハビリがそれぞれ45分~1時間行われること。
・パジャマ(就寝時)とリハビリ着(リハビリ時or通常時)を着替えること。
・病棟生活の全てがリハビリテーションの一環であること
・…etc

基本動作の確認も行われた。
・ベッドで寝返りを打つ。
・横に寝ている状態から起き上がる、
・ベッドの縁に腰をかけ立ち上がる、
・ベッドの縁に腰をかけ車椅子に乗り換える。
・…etc

こうした基本的な動作は自分の力でできる。
続いて…。
・バイタル(血圧、脈拍、体温…)、血中酸素濃度などの測定。

12時15分
いつの間にか12時を過ぎていた。車椅子を押してもらいながら食堂に向かった。
食堂では机が並べられ十数個の「島」が作られていた。一つの「島」に5~6人。
全体で30人前後。座る場所は病室毎に決まっているようだった。

椅子のない所は車椅子、イスのある所は歩行器または杖の利用など自力歩行の出来る人。
回転椅子の置かれているところは看護師、その両隣には食事介護の必要な人が座る。
その当時まだ自力歩行のできなかったボクは車椅子のままその中の一つに案内された。

06
          食堂       食堂(反対側から)

食事が終われば歯磨き。
「薬飲み終わったら、歯磨きに行きましょうか?」
もし声をかけてもらえなかったら手を挙げて「薬飲用・歯磨き」の意志を現す。
歯磨きのセットは洗面台に準備してある。終わればベルで合図し部屋に連れて行ってもらう。

08
       洗面台          窓の外に丹沢

もちろん自力で移動できる人は、洗面台が空いていれば自由に使うことができる。
また許可の出ている人は自室や自室近くの洗面所を自由に使うこともできる。
障がいの異なる様々な患者さんに対応する合理的なシステムだと思った。

13時00分
車椅子で部屋に戻る。この時先に帰っていた同室患者さんの紹介があった。
ベッドに寝たきりの患者さんの眼から見れば、自力で基本的な動作が可能なボクは良い方なのかもしれない。

13時30分
看護師が「転倒転落予防」のためのDVDをセットし視聴。
映像の中に「落し物を拾おうとしてベッドから転落する場面」がある。
ボクも経験しそのために身体を拘束されたことがある。
すぐ目の前のタオル、手を伸ばせば簡単にとることができる…と思ったのにできなかった。
そのままベッドから落ち、立ち上がろうとしたけれど手や足が思うように動かなかったのだ。
自分の意志が行動に反映できないことのもどかしさが、記憶に強く残っている。
「根拠のない(客観的な評価のない)できるという思い込み」は有害なばかりか危険でさえあるのだ。

14時45分
 薬剤師さんの問診と現在服用中の薬の説明。

15時05分
 レンタルパジャマやトレーニングウェア、タオルが届く。

15時40分:Dr.の回診。
 ・左右に振られたペン先の動きを目で追う。
  右目はいくぶん外向き、左目は左端方向への動きがよくない。
  経過をみて必要だったら本院に行き眼科の診察も受けよう。
 ・体のふらつきはリハビリで改善の可能性がある。力点を置いて頑張ろう。

15時50分
~16時30分:ST

 ・3階言語聴覚室で。
 ・呼気の長さ、唇や口腔の動きなどの検査
 ・発声練習 など

17時00分:担当看護師より
 ・薬の管理、何かあったときや困ったときの相談窓口であること等の説明
 ・夕食前の血糖値の測定

18時~:夕食
 「食堂に行きましょう」
 介護福祉士(看護助士?)に車椅子を押してもらって食堂へ。所定の席に座る。
 着席していることが確認されると配膳。介助が不要のボクはそのまま「いただきます!」
  薄味だ。けれど普段から薄い味に慣れているボクは完食。おいしくいただいて「ごちそうさま!」

10_2
全粥300g、鶏肉と海老甘煮、中華和え物、カボチャの甘煮。(エネルギー15単位)

19時15分
 部屋に戻りベッドに横になっているとバイタル測定。
 この後しばらくの間、朝起きた時と夜の二回、必ずバイタルの測定があった。
   
23時00分
 もう眠りについた頃「血糖値を測ります」の声で目を覚ました。
 寝る前の血糖値を測り継続して記録するのだった。

昨夜病院に泊った妻は朝からの慌ただしい一日にずっと付き合い、夕方ようやく相模原の自宅に帰った。
KMCに入院していた頃は2~3日置きに来て、口に出さなくても必要なものを察して用意してくれた。
二日前には東病院に近い介護用品レンタル店から車椅子を借り、今日の転院に備えてくれたのだった。
難しい手術をした後の入院生活を支え無事に転院できたのは妻の支えがあったからこそと感謝している。

KMC(埼玉県)から東病院(神奈川県)へ。長いはずの一日があっという間に過ぎていったような気がする。
本格的なリハビリが明日から始まる。新しい環境の中でボクはどう変っていくのだろう?
目の前の、今出来ることを頑張るだけ…。不安より期待でワクワクする気持ちの方が強かった。

2016年12月30日 (金)

4回目の入院(4)・自主リハ_転院編

視点が定まらずモノは見えてもはっきり見えない。
めまいやふらつきが続き自力で歩くこともできない。
手術はうまくいった(はず)なのに出来ないことがまだ多い。
でも出来ないことを嘆くより今出来ることを実行しよう。

歩くための筋力やバランス能力を維持する(落とさない)ために何ができるか考えた。
カーテンと壁・棚で仕切られた3m四方の空間。ベッドの上でもできるトレーニング。

自主トレーニング

<例1>腰
①仰向けになり両膝を立てる。
②静かに腰を上げる。
③呼吸を止めずに「1,2,3…」5まで数える。
④腰を下ろしもとの姿勢に戻す。
⑤同じ動作を20回繰り返す。

S1

             ブリッジ

<例2>腹
①ベッドに仰向けになり両膝を立て、一方の足を伸ばす。
②伸ばした足をベッドから10cmほど上げ「1,2,3,4…」とカウントする。
 最初は30(30秒間)ぐらいまで。ムリはしない。
③足を替えて同じように繰り返す。
④慣れて容易にできるようになったら両足を伸ばして上げる。
 何日か繰り返すうちに、カウントは60(1分間)を越え120(約2分間)までできるようになった。

<例3>脚
①ベッドの縁に浅く腰を下ろす。
②「こんにちは!」と頭を下げ重心を前に移す。
③お尻が浮いたら膝を伸ばして立つ。5秒間ほど静止。
④「さようなら!」と頭を下げ重心を後ろに移す。
⑤膝を曲げお尻を静かにベッドに下ろす。
⑥同じ動作を20回繰り返す。

この他にも
・ベッドの縁に座り片方の足を伸ばす。
・棚やベッドの縁(柵)につかまってスクワット。
・棚やベッドの縁(柵)につかまって踵上げ。
・棚やベッドの縁(柵)につかまっ片足立ち。
・…
出来ることはたくさんある。時間もたっぷりある。
幾つかを組み合わせ、一日に30分~1時間は筋トレやバランス運動に取り組んだ。
タオルを丸めてボールを作り投げ上げてキャッチする。…動体視力=目の運動=も忘れなかった。

朝、洗面の終わった後、車椅子を押す看護師さんに頼んでディルームに行くこともあった。
ディルームの窓から送電鉄塔が見える。送電線を右に追っていくと丹沢山塊が見える。
あの送電線は神奈川県とつながっている…。想像することは愉快だった。

S2
               送電鉄塔

窓の外に駐車場があり、その一角にアンテナ鉄塔が建っている。
1本のはずなのに両目で見るとダブって見えるこの鉄塔もよく目のトレーニングに利用した。

S3
     左側視界がダブって見える(イメージ)

首から下を固定し顔だけを左右に振れるようにする。
両目でアンテナ鉄塔を見つめ左にゆっくり顔を振って行く。
顔が右から正面15°を越えるとアンテナ鉄塔が二重にダブって見えてくる。
次に片目を隠し、同じように顔を振る。…片目の時は1本に見える。

S4
  斜め右側視界や片目の時は1本に見える(イメージ)

見舞いに来た妻や息子の診たてによるとボクの眼球は中央から左への動きが悪いようだ。
「目の動きが変。そっぽを向いて話しているみたい!」
現役の頃「相手の眼を見て話しなさい」と言っていたボクが妻に言われてしまった。

それでも外の風景を見る事で気持ちが落ち着くし目の疲れも取れるような気がする。
ディルームでぼんやり外を見ている時間が楽しかった。
「〇時ごろ部屋に戻ります。迎えをよろしくお願いします。」と約束した時間。
車椅子を準備して迎えに来る看護師さんの来る時刻がずいぶん早く感じた。

転院準備

朝・外来患者の診察が始まる前、または夕方・診察の終わった後、必ず脳神経外科Drの回診があった。
まだ自力で歩くことは出来なかったし、はっきり見ることも出来なかったけれど(特に正面から左側)、
「体力がずいぶん回復してきましたね。」とか
「リハビリもだいぶ頑張っていますね。」とか励ましてくれたり、
(ややはすかいに顔を向けて話すボクに)
「こっち(左側)も見るようにしてね」とアドバイスしたり、
「今、帰ってきました。」と外国(出張)から帰ってきたばかりのDr.がわざわざきてくれたり…。
こうした脳神経外科チームの連携が心強く、今の状況にしっかり向き合おうという気持をさらに高めた。

手術から一週間過ぎ、8月24日(水)に抜糸。
現在の手術は糸ではなくホッチキスの針のような用具で止めているようだ。

S5
               手術跡

痛みは全く感じないけれど、針(?)を切るバチバチという音は気持ち良いものではなかった。
抜糸は10分足らずで終わった。
「(手術の傷は)とてもきれいです。」
事後処置をしながらDr.が言った。

退院(転院)準備

失調の症状は残っているものの体力の回復は順調だった。
・「(失調の症状は)たぶん神経がマヒしているからだと思います。
  時間はかかるけれどマヒは必ず治ります。」
・「べっとりはり付いていたおでき(腫瘍)を取ったばかりですからね。
  でも神経は動いています。マヒも必ず治ります。」
・「退院してすぐ家に…とはならないでしょう。リハビリも続けて頑張りましょう。」
・「大丈夫ですからね。家の近くでリハビリできる病院への道筋ちゃんとつけますからね。」
・「いったん家に帰りたいと言っているけど、家から近ければいつでも外泊できますよ。」
退院した後のリハビリも、Dr.と妻の間で順調に進められているようだった。」

こうして退院後の転院先は、回復期リハビリ専門のK大学東病院に決まった。
9月1日(木)、10時頃までに手続きをすませること、…が条件だった。

退院(転院)に向けて妻は車椅子をレンタルし、専用のクッションも用意してくれた。
「9月1日は晴れて欲しい」
相模原にある東病院まで圏央道を使って1時間と少し。
朝が早いこともありまだ自力で歩くことのできないボクは強く願った。
ちょうどその頃迷走する台風10号が接近中で
9月1日前後に関東地方に再上陸する動きを見せていたのだ。
台風の進路予想などTV画面はよく見えなかったけれど、音声に神経を集中した。
最悪の場合…、タクシーを利用するしかないな。

S610
     迷走する台風10号(08/29_NHK_TVより)

10時までに東病院に入り手続きを済ませるには、ここ(KMC=埼玉県)を9時前に出なければならない。
その時刻に間に合わせるために、妻は6時頃には自宅(相模原)を出ることが必要になる。
結局妻は前日からここ(KMC)の宿泊施設に泊り、介護タクシーも予約することにした。
入院手続きの予定時刻についてもソーシャルワーカーを通して東病院と相談することになった。

9月1日(木):退院(転院)する日の朝、
心配していた台風10号は昨夜のうちに三陸海岸に上陸し北海道から日本海に抜けていた。
東北・北海道地方に大きなツメ跡を残したが関東地方には台風一過の青空が広がっていた。

早めに起きて洗面を済ませ、車椅子を押す看護師さんに頼んでディルームに行った。
だれもいない部屋は朝の明るい光に満ちていた。

S7
          ディールーム

今日は昨日の続き、昨日と同じ日常が再び始まる。…と以前は思っていた。
しかし陽の光が刻々と変わって行くように
ボクの中でも過去という時間の積み重なりが気持の上で微妙な変化をもたらしていた。
新しい旅立ち。これから始まる新しい環境の中でボクはどう変わって行くのだろう?
ちょっぴりの不安と大きな期待で一杯だった。

部屋に戻り朝食が終わった後退院に向けて荷物の整理をした。
全てをバックに収めストレッチをしている時Dr.の回診があった。
・「今朝も完食ですね、よしよし。
  リハビリが順調に進めば早めに退院できるかもしれません。」
・「いよいよですね。転ばないように気を付けて下さい。
  あちらでもまたボクの外来に来てください。」

退院が決まったあと巡回にくる看護師さんたちにも口々に声をかけてもらえた。
・「おめでとうございます。リハビリも頑張って下さい。」
・「ふらつきもめまいも必ず治りますからね。信じて頑張って下さいね。」

介護タクシーは9時少し過ぎに来た。
病室を出てナースセンターの前を通る時、中で仕事をしていた看護師さんに声をかけた。
「退院します。長い間お世話になりました。」
「おめでとうございます。
 こちらに来る機会があったらナースセンターにも寄って下さいね。」
こんな返事を聞いた時
退院(転院)すればここに来ることはなくなる! …ことにあらためて気が付いた。

2015年1月に生れて初めて入院、続いて生れて初めての手術。
2016年6月の再(々)手術に向けて体力をつけるための入院を含め100日間近かった入院生活。
お世話になったDr.や看護師・介護師・療法士…、皆さんの顔が次々に浮かび胸がキュンとなった。

2016年12月26日 (月)

4回目の入院(3)・リハビリ

手術は成功した。
にぎりこぶし大の腫瘍は2度にわたる手術で ”キレイに”取り除かれた。
生命はもちろん、心配していた失明のリスクもなくなった。
けれど…、
・めまいやふらつきがひどく立って歩くことができなかった。
・焦点が合わず目の前にあるモノをよく見る事ができなかった。
・呂律(ろれつ)がまわらず言葉をはっきり話すこともできなかった。
小脳失調の症状が残り、主に運動機能の障害として表れているのだった。

「大きな腫瘍が神経を圧迫していたのです。
 腫瘍はキレイにとれたけれど、神経が圧迫されていた影響でマヒが残っているのです。」
Dr.は言った。
「マヒは改善します。一ヶ月、二か月、あるいは半年先かも…。
 時間はかかるけれど、必ず少しずつ改善していきます。」
「できるだけ早く退院できるように頑張りましょう。
 退院した後のリハビリも検討しましょう。」
19日には点滴も終わり本格的なリハビリが始まった。

土・日を除く毎日9時30分頃、机の上に次のように書かれた3枚のカードが置かれる。
「言語 9:30~」「歩行 10時30分~」「作業 14:00~」  
時間に近くなると看護師(介護師)、時には先生が迎えに来てくれる。
まだ自力で歩くことはできない。リハビリ室への移動は車椅子。
出来ることは少ない。今の状態で出来ることから始めるだけだ。
まずは「自分の足で歩くこと」を目標に頑張ろう。リハビリ室に向かう車椅子の上で強く思った。

ST(言葉)
前回もお世話になったNag先生。リハ室までの送り迎えをしてもらえることが多かった。
行きも帰りも言葉を交わすことができる。そのこと自体が言葉のリハビリとなっていた。
3階にある言語聴覚室では検査の他に次のような発音・発音・言葉の訓練が行われる。
(このブログを読んでいる皆さんも試してみませんか?)
<例1> 
 ①パ・パ・パ… 10秒間に何回言えるだろう  
 ②タ・タ・タ… 10秒間に何回言えるだろう
 ③カ・カ・カ… 10秒間に何回言えるだろう
 ④パタカ・パタカ・パタカ… 10秒間に何回言えるだろう
<例2>シャ・シュ・ショ、リャ・リュ・リョなど拗音を含む言葉や発声しにくいサ行やラ行の短文音読
 当時モノをはっきり見る事が出来なかったので、先生の発音を真似て
 ①修学旅行で急行列車に乗りました
 ②臨時列車は6番線から発車します …など

「ゆっくり」「はっきり」「音節ごとに区切りながら」…。
できなかったことが少しずつできるようになっていく過程が楽しい。
しかしもっと楽しいのは自分の考えや気持ちを相手に伝えることができることだ。

病室の通常はカーテンに囲まれた3m四方の空間。自分の気持ちや感情を伝える相手もいない。
だから絵を見て物語を作ったり、短文の続きを作ったり、課題として与えられた言葉を説明したりなど
想像力を働かせ、自由に会話のできることが楽しかった。

先生は自分のパソコンをボクのホームページに接続し話の糸口を作ってくれたりもした。
ボクは北アや南ア・丹沢など、山歩きの楽しさや自然の素晴らしさをお伝えしようと一生懸命になった。
こうしてボクはSTの時間が楽しくて楽しくて、その時間の来ることが待ち遠しくなっていた。

OT(作業)
今回の担当はUed先生。がっしりした男性セラピスト。
前回入院時(2016年6月)にお世話になったKus先生はお休み。産休とのこと。
夏になったら八ヶ岳に行きたいと言っていたけれど…。

リハビリセンターの入口から右に入ったところにOTのコーナーがある。
作業机や模擬台所・風呂場など家庭で必要な日常活動の練習ができるような施設や道具がある。

机の一角に座り今日のリハビリが始まった。
「それではこのペンの先を目で追ってください。」
カラーペンを持った先生がペンをゆっくりと左右に動かす。ボクは顔を固定したままキャップを目で追う


右の端から正面右約15°までの間は正常に見ることができる。
しかし正面から左へ動くにつれ焦点が定まらなくなった。ペン先が二重に見え目がひどく疲れるのだ。
ボクの目は運動性が悪く(特に左眼球)、左右の眼から入ってくる視覚情報がシンクロしていないのだった.


指や腕など上肢の運動に目のトレーニングが加わった。

<例1>コイン入れ
「貯金箱にコインを入れましょう。」
机の上に十数枚のコインがバラッと散らばった。コインをつかもうとした指が空をつかんだ。
1枚1枚のコインも貯金箱の投入口も二重に見えるのだ。
十数枚がその2倍、コインがとてつもなく大量にあるように見えた。
虚と実、二重に見えるコインの虚をとろうとして空をつかんだのだった。

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                虚と実(どちらが実態だろう?)

「片方の目を手のひらで隠してやってみましょう」
今度は正しくとることができた。が…、距離感をつかむことができず正しく入れることができなかった。

<例2>お手玉のキャッチボール
1mほど離れて座っている先生がお手玉を投げる。それをボクは両手でキャッチする。
最初はなかなか取れなかった。しかし慣れるうちにだんだん取れるようになってくる。
すると先生は少し距離を離す。1.5m、2m…。距離があると少し難しい。
しかしそれでも次第に目が慣れてくる。今度はわざと左右に振るように投げる。
右方向からくるお手玉は取れる確率が高い。
しかし左方向からくるお手玉は外す回数が多かった。

動きのあるものを眼で追う。外した時は悔しい。
しかし「コイン入れ」も「お手玉キャッチ」も楽しかった。
ゲームそのものががトレーニングになっているのだから。
こうしてボクは、OTの時間も心待ちするようになっていた。

PT(歩行)
「行きましょうか」
時間が近づくと看護師(介護師)さんが車椅子を押して迎えに来る。
時計を見ながら待っていたボクは
「お願いします。」
とベッドの縁に腰をかける。
ブレーキで固定した車椅子を支えにし、体を回転させるようにして乗り移る。
このころはベッドから車椅子への乗り移りは自力でできるようになっていた。

エレベータで2階に降り長い廊下を通ってリハビリセンターに向かう。
教室が4つ分ほどの広さのリハビリセンター。壁際には順番を待つ患者さんの車椅子が列を作っている。
「お待たせしました。あちらのベッドまで進みましょう。」
前回もお世話になった理学療法士のHagさんに声をかけられてようやくボクの番がくる。

ベッドに腰をかけたまま膝を曲げる。曲げた脚の脛付近を押さえ
「膝を伸ばしてください。」という指示で思い切り力を入れる。
「だいぶ力がありますね。」

ベッドに仰向けになり片方の足を曲げる。曲げた足の踵付近を押さえ
「蹴るように思い切り伸ばしてください。」指示に従って思い切り蹴るように伸ばす。
「すごい、すごい。ボクの方が負けそうです。」

足の踵で一方の膝を打ち脛に沿ってスーッと伸ばす。
以前できなかった「トン・トン・トン・スー」も、このころにはスムースに出来るようになっていた。
仰向け片足上げや四つん這い片足上げ、仰向け腰上げ…。脚の力はそれほど落ちていないようだった。

リハビリ室の中央には3本の平行線が記されている。長さは10mほど。
「真ん中の線に沿って歩いてみましょう。」
線の起点に立って前を見た。平行線のはずが複数の線が交差しているように見えた。
頭の中がクラッとして足元がふらつき、一歩を踏み出すことができなかった。
腰を支えてもらいやっと先端まで進んだとき、肉体ではなく気持ちの疲れをひどく感じた。
安定して歩くためには目から入る情報が重要であることを改めて感じた。

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                    平行線のはずなのに(イメージ)

平行棒の間に立つ。
A.足を肩幅に開いて立つ。少しふらついたが何とかクリア。
B.両足を揃えて立つ。左右に振れる上体(重心)を支えることが難しい。
C.足のつま先をもう一方の足のかかとにくっつけて立つ(つぎ足)。体が横に振れて5秒とできなかった。
D.片足で立つ。右足も左足もすぐにふらつき1秒とできなかった。

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                                   バランス

上体を支える足の接地面積が小さくなるほど体の安定を保つことが難しかった。
安定した歩行は片足立ちの連続だ。安定して歩くためには身体のバランスを保つことが必要だ。

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                                 歩行

①体幹を中心に筋力をつけ、
②バランス能力を高めること、
③目のトレーニングを中心にモノの見え方を改善すること。
これがボクの当面の課題と言えるだろう。

課題がはっきりしているのはよいことだ。取り組む目標を具体的に見据えることができるから。
土・日やリハビリのない時間にも、ボクは部屋で出来そうな自主トレに取り組むようになった。

2016年12月16日 (金)

4回目の入院(2)

手術

8月16日(火):
手術をする日。今の季節夜明けが早い。6時30分に部屋の灯りが点いた時もう目が覚めていた。
この日のバイタル。血圧136/87、血中酸素濃度94%、体温36.3C、血糖値88。全てが順調だ。
7時30分に点滴が始まり9時頃ベッドのまま手術室に向かう。

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                    点滴が始まった

手術室入口奥にある時計を見ようとしたけれどあっという間に通り過ぎ確認できなかった。
ただ、
・手術室で待機していた執刀医や麻酔医、看護師の手術着がカラフルだったこと
・ベッドから手術台に「1,2_3」と、シーツごと持ち上げられて移動したこと
・鼻と口をおおうマスクをかぶせられ、そのまま深い眠りに落ちたこと
…を、かすかに記憶しているだけ。
9時30分ごろに始まった手術は17時頃には終了し、
そのままICU(集中治療室)に運ばれたという。
けれどその間の様子はあまり覚えていない。
記憶がよみがえるのは翌17日(水)、6階病棟の自分の部屋に戻ってからだった。

手術後

8月17日(水)手術した翌朝、明るさを感じて目が覚めた。
おそるおそる目を開けると…。天井もカーテンも全てぐるぐるまわっているように見えた。
目の焦点が定まらず「それが何か」は分からない。けれどそこに「何かがある」ことは分かる!
手術前にリスクとして
「失明の確率は0~100%…」と言われていただけに
モノの存在を確認することができる! …この時点ではただそれだけでも嬉しかった。

この日のノート。
左手の親指と人差し指を罫線を挟むように置き、指の間から外れないように文字を書いた。
文字の形は知識として知っているから書くことは出来る。
けれど目の焦点が定まらず何を書いたのか読み返すことはできなかった。
4ヶ月も過ぎた今(2016/12/13)当時のノートを読み返そうとしたけれど
ミミズが這いずった後のような文字で何が書いてあるのかは分からない。

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                    記録だけでも…

回診に来てくれたO.Dr(主治医)の説明。
「調子はどうですか?」と、目の動きなど診た後、
・手術は無事に終了、残っていた腫瘍はキレイに取り除いたこと。
・経過が順調なら今月中には退院(転院?)できること。
・外国での講演があるために留守にするけれど話はしておくこと。

同じチームを組むKus.DrやKon.Drも顔を見せてくれた。
手術の跡を消毒したり、手や目の動きなどを観察した上で、
・傷(後頭部の手術跡)はキレイであること。
・(抗生物質などの)点滴は今週中に終わること。
・右側に比べて左側の動きや左眼球の動きが悪いこと
・それは腫瘍の圧迫による神経マヒが残っているからかもしれないこと。
・明日からリハビリが始まること。
・マヒは2ヶ月~半年という長期のリハビリで回復の可能性があること。
など、手術後の経過を説明し励ましてくれた。

外来診察のない(終わった)時間帯には毎日必ずDr.の回診があった。
かけてもらう言葉のひと言ひと言が「必ず治る」というモチベーションにもつながった。

術直後の2~3日は左目と右目の焦点が合わず、無理に見ようとすると目がひどく疲れた。
また話をする時、比較的見やすい右目で見ようとするため、顔をやや右に向けていたようだ。
面会に来てくれた妻に「どこを向いて話をしているの?」と言われるほどだった。

痛みはなかったけれど、枕に触れる手術跡の接合部がひしゃげるような感じがしたり、
頭の中で「グニュ」とか「ムニュ」とか音が聞こえるような気がしたりして不快だった。
(Dr.の説明では「手術の時に入った空気が動く音」…とのこと)

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手術の跡(消毒の時看護師さんに撮ってもらった。撮影日:2016.08.23)

よろめきやふらつきがひどく自力で歩くことはまだできなかった。移動は全て車椅子。
トイレに行きたいときはナ-スボタンを押し、看護師さんや介護師さんに来てもらった。
どの看護師さん(介護師さん)も、抱擁的で優しく、熱心に世話をしてくれるのだけれど
患者数に対する車椅子や車椅子トイレの数が足りなくて不便を感じることも多かった。

食事

それでも食欲はあった。
手術直後は食べさせてもらっていたけれど、2~3日後には自力で食事をしていた。

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8/18_昼食:みそ汁、マーバ豆腐、ダイコンサラダ(付ツナ)、フルーツ(全粥1600kcal)

”病院の食事はパターンが決まっている上、薄味でおいしくない”という人もいるけれど、
調味料はレシピの2/3~1/2と薄い味付けの我が家の食事に慣れているボクには十分だった。

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8/20_昼食:薬味、かけ汁 関東、魚卸し煮、ブロッコリー梅肉和え、杏仁豆腐(うどん1600kcal)

”残暑お舞い 申し上げます
          栄養科 ”

時節に応じる、かわいいイラストが付いてくる日もあった。
朝、昼、夕。…給食の時間が待ち遠しかった。毎回残さずおいしくいただくことができた。完食! 
食欲があるのは良いことだ。回復のエネルギーは全て食事から摂ることになるのだから。

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8/31_昼食:味噌汁、肉団子あんかけ、みぞれ和え、フルーツ(全粥1600kcal)

2020年8月
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